ザザイズム

都内某所に生息する大学生。2016年夏〜2017年冬にオランダに半年留学してました。日常で考えたことや留学記録、旅行記などつづっています。

少しぼやけているくらいがちょうどいい

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低音質って落ち着きませんか。
ハイレゾだなんだというけど、低音質のぼやけた感じもまた好きなんです。

そこからぼんやりと考えてみたこと。



高音質って、疲れませんか。
かくいう私もそんなにオーディオオタクでもない、あまり音質にこだわりのない身です。
WalkmanのSシリーズに、付属イヤホン。この組み合わせを5年以上続けてます。

音質には満足してます。特に、イコライザとか調整すると結構いい音します。初めて使ったときはちょっと感動したくらいには。




でも、高音質すぎると、聴き疲れる。

ドンシャリ(※高音と低音を強調すること)気味だからなのかと、調整しても疲れてくる。
これはなぜなんだろう。





私にとって音楽は何か他の事をやりながら、BGMとして聴くことが多い。
そういう時に、鮮明過ぎる音を聞くよりは、ちょっとぼやっとした音のほうが本来やっていることに集中できる。



最近、音楽を単体で腰を据えて聴く時間があまりなくなりました。
以前は通学時間に電車内でじっくり聴いていました。でも、一人暮らしして自転車通学に切り替わったら、そういう時間が減った。



その代わりに、何かBGMになりそうな曲をよく聴くようになった。インストとか洋楽とか。
そういったこともあって、「聴き疲れ」する音楽を好まなくなった。
むしろ、少し低音質のほうがちょうどいい。

そんなところだと推測します。





視力が良い=良いこと?

高音質だと聴き疲れする。
これ、耳だけじゃなくて、目にも言えるんじゃないか。



実際、視力が良い方が目が疲れやすいそうな。

「遠くがよく見える、いわゆる”視力がいい”人は、現代の生活の中で、目ががんばり過ぎているのです。私たちは視力検査の結果がよくないと、遠くがはっきり見えるように視力を矯正してきました。しかし現代の私たちの生活を考えてみてください。パソコンにスマートフォンなど、遠くではなく近くを見ることが中心になってきていると思いませんか?遠くを見るために矯正された目だからこそ、近くを見るときにとてもがんばらないといけないのです」
見え過ぎはキケン!?疲れ目の本当の理由とは? | 太陽笑顔fufufu

これは矯正視力の話だけど、裸眼でも言えるはず。



私は生まれてこの方ずっと裸眼です。身の回りではかなりの少数派。
大学入学までは両目1.5。今は左0.8、右1,0、のはず。
日常生活には裸眼で何も不自由しません。これはとても楽。周り見てて大変だなと思います。私メガネは似合わないし、コンタクトは絶対したまま寝そうなタイプなので。


でも、実は、ちょっと見えすぎてるんじゃないか。
最近思いました。

まず、目の周りがしょっちゅう凝ります。
そして視界がどことなくうるさくて気が散りやすい。視界の端っこに入ってくるものがやたらとよく見えてしまう。
部屋で勉強しようとすると、視界の隅っこに置かれた掃除機なんかがやたらと意識の内で主張してくる。

視力の問題というよりは心の問題かもしれないけど。でも、気にしだすと、見えすぎてる、そんな気もする。




ちょっとぼやけているくらいがちょうどいい

現代は「情報の洪水」の時代。
よく言われる言葉だけど、まさにその通りすぎて。

だからこそ、ちょっとぼやけているくらいがちょうどいいんじゃないか。
耳も、目も、そして心も。
本当に大切なことだけちゃんと見据えられる。
少しぼやけている、それは逆に強さなんじゃないか。



耳だったら、ちょっとぼやかすのはわりと簡単。イヤホンするか、耳栓すれば済む。

これが目だと、そうはいかない。度の合わない眼鏡かける、寄り目する、目をこする……全部、本当に視力が落ちかねないですもの。さすがにコワイ。

心だと、もっと難しい。ぼやけすぎると、ただの物知らずになってしまう。本当に大切なことは見据えなきゃいけない。




せめてもう少し、目をつぶってぼんやりする時間を増やすとか。
ネットみたいに、情報がひっちらかってるのを避けて、一直線に読める本にもっと時間を使うとか。

そうやってバランスを取った方がいい。そんなことを思う。