ザザイズム

都内某所に生息する大学生。2016年夏〜2017年冬にオランダに半年留学してました。日常で考えたことや留学記録、旅行記などつづっています。

オランダから帰国しました。飛行機の中で思ったこと。

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半年間のオランダ留学を終え、帰国の途についています。日本海上空に来たところで、留学を終えた感想やいま考えていることを書き留めていきます。

いろいろありすぎた留学生活を要約するのは暴挙としかいいようがないけれど、
あえて主な2つを挙げるとしたら。
ひとつめは、「みんな違って当たり前、自分も違って当たり前」ということに改めて気付かされたこと。
もうひとつは、大成功とはいえないような挫折もいっぱいある泥臭い日々だったけど、それでもそんな日々を決して無駄だったとは思わない、って肯定したい、ってこと。

みんな違って当たり前、自分も違って当たり前

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会う人行く場所新鮮なことがたくさんありました。思い出すのは「視野を広げる(broaden my view)」という表現。もうもはや陳腐化してしまいそうなくらい使ったフレーズだけど、それでも言いたい。あらためて視野は広がった。ほんとうに。


わたしの感覚からすると「まじか」とびっくりするような人や物事にたくさん出会った。

いちいち挙げたらキリがないけれど、
ヴィーガンでお酒飲まないけど大麻は吸う(合法)子とか、
川辺で初対面の私にワインボトル回し飲み勧めて来週パーティーおいでよと言ってきた子とか、
シャワー中に大音量で音楽流すフラットメイトとか。


旅行中にもいろんな人に出会った。
ルクセンブルグの駅で話しかけてきたドバイ出身のルクセンブルグへ移住した人とか、
フランスで働いて1ヶ月超のバカンスをイタリアで過ごすアメリカ人とか、
モロッコの砂漠ツアーで広東語・北京語・日本語の漢字の違いでトークを繰り広げた香港と北京出身の人とか、

……これまたいちいち挙げたら書ききれない。


わたしは驚くたびに「信じられん」と日本人感覚で拒否りたいという気持ちは起こらなかった。「そういう人もいるんだな」という、俯瞰した視線。前からこの視線は身についていたように思うけど、それが毎日のように発動していた感じ。

良かったのは、年齢の上下や距離感をあまりきつく気にしないでいても良かったこと。
友人はたぶん年下のほうが多い。「たぶん」というのは、年齢わからない友達もけっこういたから。別にそれでとくに差し障りがあるわけでもない。とても気楽だった。



逆に、まったく譲れない部分というのも世の中にはあるんだなとも同時に思う。そりゃ俯瞰しようがやっぱりたまにはどうしようもなくびっくりすることもあって。自分個人としては俯瞰できるけど、社会とかもうちょい広げるとまた別の話だよな、というのはこっちのニュースとか勉強のなかでかなり痛感させられてきた。



こういったことがらにいちいち揺さぶられたり、俯瞰してみたり、考えさせられたり。この時代にこういう経験できたのはほんとうに貴重だったと思う。

みんなこれだけ違うんだから、自分だってちょっと違っていたっていいじゃないか、という気にもなれた。そもそもわたしはヨーロッパならどこ行ったって圧倒的マイノリティ。大学はヨーロッパ域内からの人が圧倒的に多くて、日本人はほんとうにわずか。

わたしもまた相手にとっては理解できない行動をしていたことがあって。そういうことが続くと、自分が違っていることに慣れてきて、ふしぎと気がらくになったように思う。




泥臭い日々を肯定できるのはわたしだけ

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正直、とっても泥臭い部分の多い留学生活でした。

「自分の留学は大成功でした」って胸張って言えるようなものかと言われるとちょっと疑問で。
たとえば、自己PR仕立ててみろ、といわれて「背景説明→問題発生→対処法の提案・実行→問題解決」というような鮮やかでわっかりやすい流れに当てはめられるエピソードがどれくらいあるかと言われるとひじょうに自信がない。

むしろ「問題発生→挫折→後処理」という形の話が多いんじゃないか。
とくに人と比べだしちゃうとたぶん愕然としてしまうんじゃないかな、と思う。

勉強は最後まで納得しきれなかった部分もかなり多かった。英語力も背景知識も弱いところだらけなのを痛感させられた。



勉強外にももう少し留学中にいろいろできたんじゃないかという気持ちもある。

サークルとか各種団体活動への参加とか。わたしの動いてみた範囲では、ちょっと難しかった。
サークルめいたものはあるにはあるけれども、半年留学生が入っていけるようなものがいまいち少ないような印象。まわりの交換留学生を見ても、なにかのサークルに入っているという人はあまり多くなかったように思う。
ほかの大学の事情を聞くともうちょっと違うみたい。たとえば日本語や日本学の学部があれば「Japanese Society」という日本人学生や日本学を学ぶ学生などの団体があるらしい。こっちではとんと聞いたことがない。アメリカ人出身留学生会のグループは見かけたけど、それ以外は出身国で団体作っているのを見かけたことがない。

でも、わたしが知らないだけでもっとちゃんと突っ込んで探してみたら良い機会もあったんじゃないかな、という気持ちもある。



ひとりになりたい病を発症したころもあった。
もともと出不精気味なのが急速に悪化してしまう時期。しかもおいそれとひとりになれる環境ではなかった。寮は広いワンルームを2人でシェアする形だった。
ルームメイトとはほどよい距離感でいい人だったけど、どんないい人であろうとどうしてもひとりになりたいときというのは誰がいっしょにいようと関係なく、ただただひとりになりたい、それしかなくって。かなりしんどいことが何回かあった。



こういった関係上、交友関係はかなり狭かった。いろんな人に会えたけど、ちゃんと2回以上繰り返し会える人となるとかなり限られる。
それはある程度予想の付いたこと。もともと浅く広くより狭く深くが好きなわたし。そりゃ留学したってそうそうかんたんに変わるわけはない。日本にいたころともまったく同じで。笑っちゃうくらい同じで。




でも、ひとつ違うこと。
そういった自分を悪いとかダメだとかは思わなくなった。

留学前は「留学したらちょっと自分変わるんじゃないかな」という幻想を抱いていたけど、そんな幻想は叩き壊された。
あいかわらず自分は日本語だろうと英語だろうとガンガン人付き合い広げていくのは苦手だし、人といっしょにいる時間は確かに楽しいけど、ひとりっきりになる時間もどうしても必要だし。そこは留学しようと変わらないってことは、ほぼ一生ものの変わらない自分の性質なんだろうな、と。一種の諦めというか、開き直りというか、そんな気持ちが出てきた。以前だったら「もっと社交的にならなきゃ」という強迫観念が漠然とでもあったのかもしれない。それを手放せたような、そんな気分。



そうしていい意味で諦めたうえで、「じゃあ、変わらないなりにどうしたらうまくやっていけるのか」という建設的な問いに移れるようになったんじゃないか、と思う。自分との折り合いの付け方がすこしだけうまくなったんじゃないかな、と信じている。

何が問題で、どこまで自分が苦手で、自分はどうしたくて、どこまで自分が諦めて、どこまで自分と折り合いつけて、じゃあ自分なりの次の具体的な第一手はなんだろう、と考える。そこではいっつも文章化が強力なツールになっていた。ToDoリストにとりあえず書いてやることを分解したり、紙に気になっていることをひたすら書きなぐってマインドマップみたいに広げていったり。

以前なら「ああもう自分変わらないじゃんダメじゃんやっぱどうしようもないは自分」という自己嫌悪がはじまって堂々巡りしてたけど、そういう感情をいったん横に置いて、自分に対して理性的に思考できるようになったんじゃないかと思う。





「あの時ああしてれば」「ああいう選択肢も合ったじゃないか」っていう気持ちがないわけじゃないけれど、
それをいま言うことには意味がない。
たとえ「いま考えたらああできたよな」なんて考えても、その時その時のベストを尽くした結果でしかないのだから。「あの時」にはそんな選択肢は存在し得なかったのだから。

決して鮮やかなでわかりやすい話ができない、泥臭い日々だったとしても。
それでもいっぱい得るものはあったよ、と、胸を張って言えるようでありたい。
大成功だとは言えなかったとしても、わたしが過ごしてきた日々を肯定したい。誰かと比べちゃいけなくて、誰かにしてもらうのを求めるのもいけなくて、ほかでもないわたしにしかできないこと。


そのうえで、意外と自分は想像よりは根性はあるのかもしれないな、という根拠のない自信を抱けたらなと思う。ひとまず、泥臭い日々をなんとか一歩一歩進められた程度には。









赤裸々に書いてしまいました。まだ書き足りないことがけっこうあるのですが、一番大きな部分はここに書いたことにだいたい集約できるかな。
こういう感覚があっという間に薄れたらどうしような……という思いもある。何回かこのことは考え直していきたいなと思う。

今日はこのくらい。