ザザイズム

都内某所に生息する大学生。2016年夏からオランダに半年留学中。

なんでもかんでも「当たり前」にしちゃいけない

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ブログを眺めて気づいたこと。
ぜんぜん留学ブログっぽくない。

その原因をつらつら考えつつ思考を発散させてみた。






「留学ブログらしくない」と思った原因は、
「当たり前じゃないこと」をあまりちゃんと書き留めてないせいじゃないか。

ちょっとした日常の、ちょっとした新しいことをあまり書き留めてない。
それは単に書き留めてないだけじゃなくて、
ちょっとした新しいことにちょっと突っ込む絶対数があまり多くないせいでもあると思う。

半年後ぐらいの自分からしたら
「なんだよもったいねー」と怒られそうだ。




最近ずっと、
「褒められたような生活してないな」
という気分になっている。

気分じゃなくて事実なのだろうけど。




なぜだろう。


パッと思いつくのが気候の変化。
日がグッと短くなって、雨がちになった。
コートなしの厚着でなんとかなっていたのがさすがに辛くなるくらいには寒くなった。


とりあえず日照不足対策にビタミンDをちょくちょく飲んでみてる。

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日照不足だとビタミンDが不足しやすいらしい。
安いから気軽に試せる。確か3ユーロもしなかった。






でも、天候のせいだけじゃないでしょう。

断続的に年末年始と帰国タイミングと帰国後どうするかを決めなきゃなと脳内に巣食わせたままにして隅っこに置きっぱなしなのもある。
何かやってみたいことや挑戦してみるべきことはないかと自分に問いかけてそのままなのもある。
最低限行きたいところやりたいことをリストアップしても全然減っていかないのもある。

考える時間はあまり無い。
もし時間があっても考え方がわからないようにさえ思える。

日英どちらでも長文を継続的に読み続ける体力みたいなものが衰えているようにも思うし、
思考停止に陥ることばかり。
どうも10月あたりから断続的にこの状況が続いているように思う。







でも、問題の根本にあるのは
なんでもかんでも「当たり前」にしちゃってるんじゃないか、ってこと。



私がこっち来てよく思うのが
どこに行っても私は「想像以上にふだん通り」だってこと。

行く前はなんとなく、行ったら何かが変わるんじゃないかなって思ってたけど、
それがなんとなくブログに出てくるのが留学ブログあるある?だと思ってたのだけど、
逆にこっち来てよけいに、
「自分はどこまでいっても自分だな」
という感覚が出てきたように思う。


諦めといっちゃあ諦めかもしれないけど、
確かにネガティブな面はあるけどなんだけど、
だから逆にそうやっていったん自分を諦めてあげたほうがいい面もあるんじゃないかという気もする。



どこへでもない何かを求めるよりは、
けっきょく「変わらないな」ってことを受け止めたほうが、
「じゃあこれからどうする?」って、建設的に前にすすめるんじゃないか。



「変わった」って言える部分があるとしたら、きっと今はわからないと思う。
かなり時間が経ってから、やっと気づけるものなんじゃないかなと。
それはその当時「当たり前」と思っていたとしても。









この前、昔書いた日記を発掘した。

日記といえるほど継続的なものじゃなくて、突発的に文章化して吐き出さないと我慢できないような状況になったときにひたすら吐き出すための場所。

もうとんでもない文章ぐちゃぐちゃっぷり。私の中のネガティブな部分まるごと塊にして叩きつけたような文章。
何について嘆いているのかもよく見えてこない、何これ平安時代の短歌???ってくらい遠回しな文章ばかり。


読んでて、
「うわっ、まったく今と変わってない」
「これ今の自分が書いたんじゃね???」
って部分もあれば、
「こんなことで悩んでたのか」
「こんなこともう今は考えなくなったな」
って部分もあった。

「人に相談したいけど相手に悪い気がしてできない」
「具体的な将来像が描けない」
とか、うなずきながら読んでた。

当時、自分で自分を奮い立たせるために書いたような言葉が、
まんま今の自分に対して言われているような気分にも何度もなった。
「行動したって死にやしない」とか。

一方で、
「昔はもっと感性豊かだった」(超意訳)
と嘆いてたのは今となっては「若いな」と思ってしまった。


昔は、どこか劇的にすべてが変わる何かがあるような、そんな期待があったように思える。
でもそんなわかりやすいものなんてそうそうない。

けど、変化しないわけではない。
変化はとんでもなく地味であっても、たしかに存在する。

私はたった6、7年前に書いた日記をよく理解できない。文脈を省きすぎて、何もかも遠回しに書きすぎてたから。
そんなレベルで遠回しな文章を書いたのは、その当時の自分にとってその当時の文脈があまりにも「当たり前」すぎたから。







こっちにいるとと「当たり前」と「当たり前じゃない」が簡単にひっくり返る。
たいていのお店は18-19時頃には閉まるし、
たいていの人は朝シャンだし、
授業も同じ。欧米出身の学生が大半のクラスだと、たまに「ヨーロッパだと常識なんだろうけど私にはピンと来ない」と思えるような、そんな背景知識の違いのようなものを感じ取ることがある。そういった微妙な違和感は言語化しにくいったらありゃしない。次の議論についていくので精一杯だし。

冒頭に貼ったこの写真。
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この間この前を通りかかったら、観光客がこのボードの写真を撮っていたのを見て、
ああそういえば私も来たばかりの頃「なんぞこれ」って思ったな、って思い出して撮ったもの。





そうなんだよな。
当たり前じゃないことばかりなはずなのに。

それなのに、なぜだいたいなんでも「当たり前」でやり過ごそうとしてしまうんだろう。

そもそも私が勉強していることは全体的に「当たり前」を疑うスタンスでやっていってるはずなのに、
自分のこととなるとなぜだろう。





いちいち驚いていたら疲れてしまうのは確かだけど、
かといって勝手に「当たり前」で処理するにはもったいないような面白いことが多すぎる。

ブログに書ききれないなら他のどこかに書けばいい、といいつつ、
日記が途切れかかってます。
せっかく続いていたのに、習慣化しかかってたのにああまたやってしまったという気分。いつも通りの三日坊主クセが出てきてしまった。





でも、そこで「ふっ」と何も考えずまた再開できる、その「ふっ」と行動できる感覚こそが私に必要なものなんだろうと。
そしてそれは自分が昔っから苦手なもので、どうしても苦手なもので、どこに行ってもついてくるもので、
そこを受け止めた上でじゃあどうするかっていう問題。

きっと6、7年変わらない問題なら、ほぼ一生の問題になるんだろう。

一体これから先何回同じことをくりかえすかわからないけど、
一度うまくいった対処法なら逆に、ほぼ一生うまくいくんじゃないか。
うまくいかないたびに落ち込むんじゃなくて、うまくいかないたびに思い出すべきことは同じなんじゃないか。
攻略本が手元にあるのに、毎回その存在を忘れるなんてなんて非効率なことをしてたら疲れるじゃないか。





……けっきょく留学ブログっぽくない文章になった気がする。
あまりにも話飛びすぎててブログですらない気がする。

ぼちぼち留学の折り返し地点という事実に驚きつつ、また同じこと繰り返した時のために書き留めておく。


今日はこのくらい。



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