ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

優柔不断で苦しんだら「ココロトス」をする

f:id:zazaizm:20160522213729j:plain
私はとんでもない優柔不断です。


ふだんのスーパーの買い物から、
電子機器とかのちょっと高めの買い物から、
志望校とか、進路とか、
何から何まで優柔不断です。

大きな決断になればなるほど本当にどん詰まりしてしまいます。

メリットとデメリット比較して、何度も何度も考え直して、
人にも相談して、
でも、決めきれない。
もう心の中で8割がた気持ちが決まっているような時でさえ、決めきれない。



そんな時、私はコイントスをします。
ただ、普通のコイントスとはちょっと違うやり方です。
ココロトス」と名づけておきます。




1.コインを取り出して、「表なら○○する、裏なら■■する」と決める


2.コインを投げる
私はいつもコインを机とかの上にコマ回しみたいに回してやってます。
親指と人差指ではじくタイプのコイントス、できません。できたらかっこいいだろうけど。


3.結果を見る。結果を見た瞬間、「どう気持ちが動いたか」に着目する
「あ、よかった、ホッとした」ってなるのか、
「うわっ、こっちになっちゃったのか……」てなるのか。

ほんの瞬間の心の動き。それは、偽りようのない本音を示しているはず。


4.コインの裏表とは関係なく、「どう気持ちが動いたか」にしたがって決める
たまに、コイントスをしてもなお、やっぱり「どちらでもいい」という感情を抱くときもある。
その場合はコイントスの結果にそのまま従う。


コインに結果を任せているようで、実際には自分の本音に任せているわけ。
だからココロトス。




「コイントス」と「ココロトス」の良いところ

後悔が減らせる

コイントスにしてもココロトスにしても、選択肢が絶対的に正しい保証はない。
後から「やっぱりこうしておけばよかったな……」と思ってしまうこともある。



でも、どちらにせよ、後悔の度合いは少ない。

「ココロトス」の場合は、どんな結果になろうとも、少なくとも当時の「本音」には反してない。
もし本音に反した選択肢な上で、後々イマイチな選択肢だとわかったら後悔タラッタラになるでしょう。


「コイントス」の場合は、「あのコインのせいだからしょうがない」という気持ちになれる。
その選択肢を選んだ責任を自分が全面的に被らなくて良いような気持ちにもなれる。



コイントスにせよココロトスにせよ、どちらにせよ後悔は軽減できる。それは大きなメリットだと思う。




決断の背中押しになる

決めきれない時って、選択肢が拮抗している時。
どちらかの選択肢のほうが圧倒的に良ければ、そもそも決断に悩む必要なんてないから。
それだけ悩むくらい選択肢が拮抗しているのなら、きっと本当に「どちらでもいい」んじゃないか。


どっちを選んだとしても、「ちょっと後悔」はあっても「取り返しのつかない大間違いの大失敗」になる確率はきっと低い。多少の後悔するリスクはどっちの選択肢にもあるから、本当に「どちらでもいい」んだと思う。



ただ、問題は
悩めば悩むほど、決断する勇気が薄れていくこと。
本音はもう定まっていたとしても、それを認める勇気がなくなってしまう。
さらに情報集めてじっくり比較して、それでも決めきれないとぐるぐる思考がループして、つらくなっていって、さらに決断力が低下して……という悪循環。



それを打ち破るのが”コイントス”という儀式。


コイントスすれば、1回、しかも短時間で決まる。
コイン取り出して、結果決まるまで、ものの1分とかからない。

それはとてつもなく強力な背中押しになる。




本音を浮き上がらせる不思議な力がある

コイントスをすると決めたら、それなりの緊張感がある。

コインを選んで、
コインを投げて、
コインを押さえる。

緊張感がピークに達して、
そこでコインの結果を見た瞬間、全てが決まる。





この一連の行動。
「儀式」とでもいえるような行動。
それはまるで、思考を文章化するのと同じように、
本音を表面に浮き上がらせる、不思議な力を持っているように思う。











以前見た、こんな一節がずっと印象に残っています。

「二者択一で迷ったら、コイントスしてみよう。コイントスが有効なのは、コインの表、裏が選択を決めてくれるからではない。コインが宙を舞っている一瞬に、自分がどちらを望んでいるか気づかせてくれるからだ。」
難しい選択はコイントスで決断? | ライフハッカー[日本版]


世の中の先なんて何もわからないことばかりになっていって、
ほんの数年でどんどん状況が変わっていって、
AIが最適な決断導き出してくれるような時代はまだ先のことで、
それでも決断をしなきゃいけない時は来る。


「選択肢がある」というのは幸福なことであると同時に、
自分が選択の責任を負わなければいけない。
それはとんでもなく孤独なことであって、
どんなに人に相談したって、最後に決めるのは自分で。
悩み苦しみ消耗していくのはほんとうにつらいことで。


そんな中で、
コイントスという儀式は、優柔不断な私にとって、大きな救いになる。





ちょっと大げさかもしれないけど。
優柔不断に陥ったら、ぜひ試してみてください。

今日はこのくらい。