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ザザイズム

都内某所に生息する大学生。2016年夏からオランダに半年留学中。

長文はむずかしい。だからこそ面白い。

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ブログをはじめてから2か月になりました。ちょいちょい休み休みではあるけれど、文章が書けない病にかかったりもしてるけど。

でも、ひとまず「続いている」。習慣化が苦手な私にしては大きな快挙。


zazaizm.hatenablog.com

最近は、記事を「仕上げる」のにひと苦労しています。
書きたいネタはいっぱいある。けれども、一通り、ちゃんとした形で書ききるのに時間がかかってしゃあない。毎日のように長文を書きまくるのって、想像よりずっと大変なんだなと改めて思う。





この記事で40記事目。平均2500~3000字くらい書いているから、ざっと今まで合計で10万字くらいは書いている計算になる。卒論1~2本分。
今まで大学で書いてきたレポートの合計字数がおそらくこのくらいでしょう。それをたったの2か月で書いてしまった計算になる。そりゃ大変なわけだ。

もちろん、レポートとブログとを時数だけで単純に比較はできないですけどね。気を付ける点がかなりところがかなり違うので。どっちかがうまくなったからといってもう一方がうまくなる保証はなさそう。でも、完全に無関係なわけでもなさそう。





長文のむずかしさ

文章を組み立てるのって難しいです。
特に、長文を組み立てるのって難しいです。


私、なめていました。
文章量が2倍になったら、労力は単純に2倍か、もしくは1.5倍くらいに減るんじゃないかと想像していました。ブログだろうがレポートだろうが、ネタ集めと考察が手間かかるところ。あと字数2倍にするには、ひたすら細かく掘り下げて膨らませまくればいい。そんな想像をしてました。


でも、全然違う。
「140字×10」と、「1500字」は大変さが段違い。
「5000字×2」と、「1万字」ははるかに段違い。
長くなればなるほど、難易度は加速的に難しくなってくる。


何が難しいって、「仕上げ」。
文章が長くなれば長くなるほど、「整合性」と「バランス」ってものをとるのが難しくなってくる。


文章が長くなってくると、脳内で構造をちゃんと把握するのが難しくなってくる。
すると、「さっき書いたことと今書いたこと矛盾してるやん」とか、「さっきはやたら詳しかったのにここはやたら手薄で適当すぎ」
みたいなことが増えてくる。そういったことをつぶしていく作業。これ、文章が2倍になると4倍くらいに増える。




ちょっと図と数字で説明を試みてみました。
文章が長くなればなるほどパーツの数が増える、と仮定してみます。
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1000字くらいでもパーツが3つくらいですむ。
整合性確認するのは3つ。赤い線が3本あるのがそれ。

これを長文にしたら、パーツが2倍に増えたとしましょう。
3つから6つ。

確認する箇所は15本。
なんとパーツが2倍になったら確認作業は5倍に増えることに。



ちゃんと数式で表すと
パーツがn個とすると
nC2とか
1/2 × n(n-1)
って表せる。グラフにすると見事な二次関数になる。パーツが増えていくほど加速的に大変なことになるのは明らか。



ただ、短い文章=パーツが少ないわけでもない。短い文章の中でいろいろ盛り込んでいくのもまた大変だよなあ、なんても思っちゃうけど。





そう考えていくと、文章って難しい、とつくづく思う。 




でも、だからこそ面白い。
正直、ブログじゃさっきの赤線みたいな確認作業はそんなにしてない。書き終わってからいちいち確認するというより、書く過程でうんうんうなってるといつの間にかこの過程を通ってる感じ。



てきとうな文章にみえても意外とうろうろしながら書いてるんです。もうちょっとこれがスパッと一直線に書けるようになれたらいいなぁ。でも、自分自身のうろうろ感がそのまま文章に出てるだけな気もするから、なかなか直らなさそう。

特に、文章も思考も横道にそれるクセがあるし。そうやってそれるからうろうろしだす。そのうろうろは大変でもあるけど、あ、私こんなことも考えてたんだなぁと思い直せる機会にもなる。だからやっぱり面白い。



またまたうろうろしてきたところで、今日はこのくらい。