ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

「文章吐き出せセンサー」に助けられてる話

何を書くかまったく決めないまま文章を書いてみる。

最近気づいたこと。
周りの人はそんなに、思考を文章化したりしないらしい。
なんなら、脳内の片隅になにかやることがもやもやと滞留しだしたのに気づいて、それがあ、駄目なやつだ、と気づいて吐き出したりする癖がそんなにないらしい。


私がブログを始めてからついた習慣。

もやもやしたら紙とペンに聞け。
キーボードとメモアプリに聞け。
できればその両方を行ったりしきたりしろ。

形は変われども、仕事を始めてもけっこうな頻度でこれを実行している。


そうしていると、脳内に「文章吐き出せセンサー」ができてくる。
なんかどうしたらいいのかわからない、何かをしなきゃいけないけど何からしたらいいかんからない、そんな状況にピピッと反応して「文章化だ、文章化の出番だ」とつついくる。
喩えるなら、脳内のワーキングメモリが埋まっていってパフォーマンスが落ちていったときに、「紙の上に仮想メモリを作れ、吐き出せ」とつついてくる。そんなセンサー。

今までどえらい辛いときにこのセンサーにさんざっぱら助けられた。そのおかげでセンサーは強化されて、どえらい辛くないときでもピピッと反応してくれるようになった。

私はどう考えてもワーキングメモリがそんなに大きいほうじゃないから、こうやって脳のメモリを拡張できる術があるのは幸福なことだと思う。







ブログを書く回数が減ってはいるけど、
仕事のメモだけじゃなくて、DiaroやGoogle Keepにはとつとつと書き留めている文章はそれなりにある。
ブログにあげてもいいような文章もたくさんある。


でも、私はどうやら、
0を1にしたり、1を8くらいまで持っていくのは好きだけど、
8や9を10にするのにはあんまり得意じゃないというか熱をあげられないみたい。
そこのハードルが社会人になってから妙に上がった。

だからこそ今日みたいな、いつもに比べたら4くらいの文章を綴ってみたくなった。


今年も1年、文章吐き出せセンサーにありがとう。
今日はこのくらい。