はてなブログの今週のお題「私がブログを書く理由」とのこと。
こういうテーマ。3ヶ月目の記事で書きたかったなと思う。
www.zazaizumi.com
でも、本日ありがたいことに通算1万PVを超えたし、振り返り記事第2号ということで書いてみる。
私がブログを始めた理由は最初の記事で書いた通り。
www.zazaizumi.com
- 頭の中を整理したい
- 発信したいことが意外とある
- ためになる情報を共有したい
ブログを書く理由も同じ。
以上。
……とはいきません。
やっぱり3ヶ月経つと最初の想定とはちょっとずれてきてるように思う。
特に1つ目。
何が書けないかを見つけるため
今恐れてること。
それは、「ブログ書く理由が、『頭の整理から逃げるため』になってやしないか」ってこと。
ここ最近、頭の整理からずっと逃げ回っている。そんな思いがする。
というより、本当に整理したらもう今までたどってきた道を全否定しかねないんじゃないかと、そんな恐怖感もある。
そもそも、どこからどう整理すればいいのかすっかりわからなくなってしまった思いがする。
そんな私にとってはブログはある種の劇薬でもあるし、現実逃避でもある。
「書きやすいこと」を書いている間は、それだけを考えていられるから。
「書きにくいこと」にこそ、本当に考えなきゃいけないことがあるのだろうに。それを脳の片隅に追いやってしまえば、一時的に楽にはなれる。
それって、とっても本末転倒じゃないか。
それでも、ブログ書いて初めてわかったことがある。
それは、何が私にとって書きやすくて、何が書きにくいかってこと。
ここでいう「書きやすい」「書きにくい」っていうのは、文章力とかの問題じゃなくて、心の問題のこと。
だとしたら、こう言えるんじゃないか。
私がブログを書くのは、何をブログに書けないことかを気づくため。
何を公開して、何を隠したくなるのか、という境界線を意識するため。
その上で、なぜ隠したくなるのかを考えるきっかけにするため。
それで、隠さなくてもいいんじゃないかと思えたことに対しては、最大限正直にいるため。
それはもっと突き詰めると、自分の気持ちをちゃんと大切にするため。
そういうものなんじゃないかと思う。
まだその域には全然達してないけど。今は隠したくなるのをそのままにするばかりで。
「第三者目線」をいただくため
昔「日記を付けるといい」という話を聞きました。理由はこんな感じ。
「○○したから、○○な自分になりました!」なんて簡単に描けることなんてそうそうないし、本当かどうかなんて怪しい。
むしろ、日記とかで地道に記録を残し、そしていつか見返して「この頃はこんなことを考えていた、今の自分はこうは考えない、そういえば自分いつの間にか変わっていたのかな」って具合に気づいたことのほうが大切。
ブログも、積み重ねていくうちに、いつの間に変わっていた、ここはずっと変わらない、そういったものが現れてくるんじゃないかなと信じてる。
でも、ちょっと待った。
だったらブログじゃなくて日記でいいじゃないか?
気持ちを書きつけるだけなら、そっちのほうが絶対気楽でなんだってできる。
でも、ブログって「第三者目線」がある。良くも悪くも、そこに大きな違いがある。
この、「第三者目線」。良い面もいっぱいある。
まず、自分がどんな人かなんて、とんでもなくわかりにくい。
何ヶ月分も日記積み重ねて、「過去の自分」と、「今の自分」を比べて、変わったこと・変わらないものに気づいて、やっとわかるかもしれない。いわば、「過去の自分」に対して、「今の自分」っていう第三者を用意してやっとわかるかもしれない。
これが、ブログって形で公開しておくと、「今の自分」に対して直接第三者目線が飛んでくる。オンラインでも、リアルでも、ちょくちょく感想いただくんです。
「そんな見方があるんだ」と驚くこともしょっちゅう。
3ヶ月の積み重ねじゃ「変化」はさすがにまだわからない。私は、3ヶ月前の自分を第三者目線で見れないから。
でも、ブログなら「第三者目線」をいただける。そこにブログの良さも悪さもあるんだと思う。
承認欲求の発散のため?
自分はそんなに承認欲求ないほうだと思ってた。
でも、実際はあるほうかもしれない。
最初の記事で、こんなことを書きました。
ためになる情報を共有したら、誰かの助けになるかもしれない、自分も楽しい。
だから、「ためになる情報を共有したい」。
でも、これ、「自分も楽しい」、ってのに加えて、「認められてほっとした」って気持ちも混じってるんじゃないかな。
だとしたら承認欲求のカタマリやんってことになる。
というより、むしろないと想定するほうがおかしいかもしれない。
私、「もっと自信を持て」と幾度も幾度も言われてきました。中学くらいからずっと、形を変えつつ、10年くらい。
自信がなかったら、代わりに人に承認してもらおうとする。それはごく自然な論理。だったら、今まで自覚してなかったってだけで、相当な承認欲求のカタマリなのかもしれない。
そうしたカタマリを発散しているのがブログって場なのかもしれない。
……このあたりはまさに第三者目線がほしいところ。
ゆるく好き放題するため
ごちゃごちゃ書いてきてしまったけど、基本的にブログは自由。
ゆるくも書けるしきっちりも書けるという意味でのゆるさがある。
がっつり思考の整理に取り組むも、思考の整理から逃げるも、承認欲求発散するも、本当にためになりたいと思うも、気の赴くままに吐き出すも、全部許される。
共通項は「ざざいずみが書いている」って一点だけ。それでも良い。というより、自分が日々そうやって書くことで自分を許してる。
そのゆるさが好きで、そういうゆるさをこれからも続けていきたいなと思う。
今日はこのくらい。