ザザイズム

都内某所に生息するSE5年目。2016年夏〜2017年冬にオランダに半年留学してました。日常で考えたことや旅行記などつづっています。

自分を幸せにしてあげようという気概がない

先日に続いて、休日の作業場所探しをしている。

今日はファミレスに来てみた。しかしもうこの年末年始休暇に突入した世間、カフェタイムでも店内はとんでもなくにぎやかだった。

ファミレスの近くにネットカフェを見つけた。私が行くべきはそっちなんだろう。もしくは1駅先まで行けばだいぶ変わるけど、定期券もないのにわざわざ一駅電車に乗ってこれまた人の多いエリアのカフェに行きたいと思えない。たかが数百円の出費をケチるのも馬鹿らしいことではあるけれど。

自分には妙なケチ根性が染み付いているみたい。時を金で買うのに抵抗がある。


最低限、費用対効果の大きい節約は押さえたほうが良いだろうけれど。そこまでする必要ある?って節約にこだわることも最近増えている。例えばネットショッピング。利便性を保ちうる中での最安値を目指しで過剰に手間をかけがち。楽天で0と5のつく日を待ったり、なんでも安いAliExpressでさえ最近ドル建て購入で2%引きを目指したりしている。そういう節約の時間がもったいないという感覚がない。

自分の時間が大切なものだ、という感覚が壊れているんだと思う。自己肯定感が著しく下がっている。自分を時間と金をかけて幸せにしようという甲斐がない。読書をしたり出かけたりちょっといい時間の使い方をすることができない。




旅こそが自分であった

最近自分にした一番のぜいたくといえば、京都旅行だ。

やっぱり旅行がある種のアイデンティティみたいなものなのである。それを堂々と楽しみづらい今、満たされないもんは満たされないのかもしれない。ほんの2年前の今頃、向こう数年の旅行計画を作っていた。連休がいつあるかを調べ上げ、旧正月やラマダンや各国の祝日を把握し、その時々に良さそうな旅行先候補リストを作っていた。そんなワクワクがさっぱり消えて2年。

私は旅程というものに並々ならぬ愛がある。出発前に確定しているのはよくて半分。あとは時期、気分、出会い、あらゆる偶然と必然の重ね合わせの総体として勝手に出来上がったもの。大量の可能性の中からたったひとつ選ばれた、他ならない私だけの足跡。定番コースの観光だとしても大体どこかで偶然を入れずにはいられない身。ざっくりとしか行き先を決めず、観光パンフレットには載らない路地を歩くときの没入感。そういう瞬間のために私は生きていたんじゃないか。




実は今年、なんだかんだで国内旅行していた。奄美大島と北海道をレンタルバイクで周った。

特に思い出深いのは奄美大島。コロナ以来初めてのまともな旅行。今まで行ってきた海外旅行とか含めてもトップクラスの感動だった。

到着しょっぱなから予想を裏切られる楽しさだった。レンタルバイクは空港に運んできてくれるという話だったけれど、空港から店に送ってもらい借りることになった。店主のおじいさまの軽トラの助手席に乗り、ワイルドな運転でさとうきび畑を突き進み、たわいもない話をした。あ、懐かしい、と思った。予想外がしょっぱなから畳み掛けてくる感覚。これこそ旅、だった。

奄美には公共交通機関がほぼなく、足がないとほぼ周れない。今までの四輪ペーパーの私だったら絶対にたどりつけなかった場所に次々と向かえた。人里離れた高台の神社。走れども走れども絶えない青い海岸。異空間のごとく長い長いトンネル。

次々と感じたことのない感覚に襲われる。行きたいところに行ける幸せ。海が視界にぶわっと広がるたび、泣きそうになった。半年以上かけてバイク免許取って、公道デビューして、思い切って奄美まで来て。そんな、日常を少しずつ変えていく私の選択が重なって、こんな景色と出会えたのだと。旅先で泣きそうになることって、そうそうない。


しかしながらこのご時世。旅はためらわれる。バイク旅で密避けだといっても、旅先でやはり自分があまりここにいてはいけないんだろうなという事も見聞きした。私が選んで、偶然と必然に選ばれる、そんな旅を堂々とできなくなった。

旅行抜きで何を楽しみにして生きればいいのだろう。自己肯定感をどう上げていけばいいのだろう。コロナ初期の異世界突入ドライヴ感が消えてゆき、ただ私の生きがいのをなくした灰色の日常を大切にしようと思えなくなっている。




生きている意味がとくにない

最近、生きている意味なんてないなと思っていた。死ぬほどではないけれど、生きているのは惰性でしかないよなと。生まれなくてもよかったよなぁと思うことが増えた。

仕事で貢献できているという感覚も薄く。自分を幸せにしているとはとてもいえない時間の使い方ばかりして。在宅勤務続きで風呂に入らない日が増えてきた。夜ご飯は夫も食べるからそれなりに作るけど、昼ご飯は雑になってきた。明日が来てほしくなくて無駄な夜ふかしをすることが増えた。なんとか体裁は保ってはいるけれど、精神的にはセルフネグレクトの入り口あたりにいるような感覚がする。ひとり暮らししてたらもっとひどい生活になってただろう。

人から見たらたぶん不思議だろう。結婚して引っ越しして仕事して致命的な不満やストレスの種があるわけでもないのに、国内旅行だって行ってたのに、何が不満なのかと。



最近クォーターライフ・クライシスという言葉を知った。これかもしれないなと思った。

www.lifehacker.jp

社会人なってから数年くらいはここまでひどい閉塞感はなかった。コロナ初期でさえむしろ異世界突入感で謎の元気があったように思う。結婚したあたりから急速に心が落ちた。旅行中は少し和らいでも、日常に戻るとまた後戻りする。自分の取扱説明書はぼんやりわかっているのに、それを実行してあげようと思えるほど自分にケアする価値を見いだせていない。




まったくの第三者とのつながりを増やしたほうがよい感覚もする。ブログに書ききれないことを頭から棚卸しするか、まったく別の世界や視点と接する、そんな機会。

ひさびさにVRChatでも再開するか。お金払ってカウンセリング的なものか何かしたっていいかもしれない。世の中のたいていの不満や課題は誰かしらが気づいて解決策を編み出してくれている、車輪の再発明する前に車輪を見つけて作り方を聞こうというその気概こそが大切なんだろう。その気概をどうにか養う価値が自分にあると思えるだろうか。






今日はこのくらい。