気づけば社会人1年目も終わりかけ。
わたしはこの1年間何をやっただろう。これから限られた時間を何に費やしたらいいだろう。
そんなことを考えたら止まらなくなった。
1年間を言語化できない
先日、新入社員と交流する場があった。ガヤガヤとフランクに質問に答える場。
「この会社に入って良かったと思うことは何ですか?」といったニュアンスの質問をされた。
良いか悪いかでいえば、良いことのほうが圧倒的に多いと思う。なのに、それをうまく言語化できなかった。その場で慌てて無理やり絞りだしたかのような変な言葉になってしまった。
でも、単に言語化が下手ってだけの問題で済まされないような気持ちになった。
どちらかといえば今年を受動的に生きてたこと。
周りの人は能動的な人ばかりに思えること。
よく悪くなる体調をなだめすかしていたこと。
やっぱりこの1年間毎日2時間半費やしてきた通勤時間はあまりも無駄だったんじゃないかということ。
無駄に貯金が積み上がるということは、自分のためにお金を十分に使ってあげていないということ。
1年間という、長くはないが短くもない時間が経ったこと。
この業界にはいろんな可能性があるけど、そのどこに集中的に力を注ぐかを上手く選べていないこと。
そういった考えが積み上がって、なんとなく自信がないこと。
根本的には先々ずっとやっていけるのかな、という不安。そんな体力もない自分が、もっとこの先公私ともにやること積み上がっていってもなんとかなるのだろうか。そんな不安に最近しょっちゅう襲われる。
何か現状を変えなきゃと思いながら、変えられていない気分。そんな気分がどこかにあるまま、1年間を過ごしていたように思う。
一人暮らししていない理由
変えられていないことの代表。まだ一人暮らししていない。
なんで貯金は積み上がったのに、一人暮らししてないのか?という疑問が再び持ち上がってくる。
検討する時間がないから?
ちょっと前までそうだったけど、今はある。
時期が悪いから?
魔の引っ越しピークシーズン2月3月にすることもないだろうと。
でも、正直、一人暮らしをいま構築してももったいないと思う気持ちがある。
彼氏氏と一緒に住めるものなら住みたいけれど、それはまだ先だろうという話ではさすがにある。でも、遥か遠くはないとしたら、今ひとり用に何もかも揃えてもあっという間に無駄になるんじゃないかと思っている。
だからシェアハウスなんかをメインで探しているのだけど、条件にちょうど合いそうなものはなかなか空きがでない。
あっという間に無駄になろうといいじゃん、って、お金を無視すればすべて解決するのかもしれない。ひとり暮らしの初期費用くらいは飲んでもいいんじゃない?選定の人的コストとかを考えてもペイできるんじゃない?と客観的にはくらいの貯金と時間はある。
結局は、お金の問題でも時間の問題でもなく、心の問題なんだろうな、と思う。
漠然となんか変えたほうが良いとは思うし、その理由もわかるのだけど、昨日と同じように今日を送ることができてしまっている。
通勤ラッシュピーク時間帯を避けられているというのも大きいかもしれない。
現状を変えることって本当に大変だと思える。
現状を大きく変えた瞬間に何があったか
じゃあそんな自分が今まで、大きく現状を変えるような決断をしたときって、どんな理由やきっかけがあった?
と思ったので、就活生ばりに自己分析をしてみた。
消極的理由
あまり「これで行く!」ってハッキリ決めたものではないもの。
選択肢ないよね型
例えば、就活。今の会社しか内定はもらってない。
大学受験で塾に行かなかったことも同様。なんとなく行きたくなくて、入塾シーズンを逃して、選択肢がなくなった。
どうしても限界だった型
例えば、大学時代のひとり暮らし。
往復3時間20分の通学がきつかった。大学での活動が一気に忙しくなる時期に噴火した。
かろうじて無理やり決めた型
例えば、文理・学部選択。
やりたいことがなさすぎて、文系科目のほうがかろうじて得意というだけで選択。学部も好きな科目と直感から最大公約数的に決めていった。
積極的理由
どうしてもそうしたい!という前向きな気持ちから決めたこと。
例えば、留学。
周りが3年から留学する人ばかりの中、たまたま4年留学の人の話が目に入って急激にグラついたのが直接的なきっかけ。
それまでに短期留学したこととか、このままストレート卒業もったいない気がするな、という漠然とした願望を抱いていた。けれど、その話が不思議とトリガーになって、一気に留学に向けて動いた。
例えば、旅行。
旅行はいつも不思議なほどどこかから旅行欲が湧いてきて死ぬほど悩んだ挙げ句一気に決めあげてしまう。旅行駆動形人間としか言いようがない性質。
周りに旅行好きが多くてよく話で盛り上がっていたのも一因かもしれない。
例えば、大きな買い物。
大きな買い物の多くは留学・旅行があったからこそ踏み切れた。
「どうしても一眼レフで旅行を撮らないと、絶対後悔するじゃん!」とか。
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「どうしても今超広角レンズ買わないと、二度とウユニ塩湖の雄大な星空を収めるチャンスないかもしれないじゃん!」とか。
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「どうしてもいま日本でSIMフリースマホ買わないと、絶対留学乗り切れないじゃん」とか。
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そうせざるをえないとはいえ、それなりに前向きに決断している。
分析
だいたい決断の理由は
- 決断しなきゃいけない時が来たから決断する
- やりたいと考えていることを、私がやれないと思っている理由をものともせず、既にやっている人がいるという事実を見る
のどちらかかorどちらにも当てはまる時。
で、今まで積極的に決断したことはかなり満足いっている。
少なくとも後悔したくはないと思っているし、ネガティブなことがあってもそれはそれで意味付けしているから、気に留めてない。
「あの時ああしてれば」「ああいう選択肢も合ったじゃないか」っていう気持ちがないわけじゃないけれど、
それをいま言うことには意味がない。
たとえ「いま考えたらああできたよな」なんて考えても、その時その時のベストを尽くした結果でしかないのだから。「あの時」にはそんな選択肢は存在し得なかったのだから。
決して鮮やかなでわかりやすい話ができない、泥臭い日々だったとしても。
それでもいっぱい得るものはあったよ、と、胸を張って言えるようでありたい。
大成功だとは言えなかったとしても、わたしが過ごしてきた日々を肯定したい。誰かと比べちゃいけなくて、誰かにしてもらうのを求めるのもいけなくて、ほかでもないわたしにしかできないこと。
オランダから帰国しました。飛行機の中で思ったこと。 - ザザイズム
すごい若い文章だなと思うけど、その通りだと今でも思う。
一方で、消極的に決断したことでも悪い結果になることはほとんどない。
けれど、決断ゆえに直面したネガティブな要因に対して「こっち選んでたらどうなってたかな?」という気持ちが生じやすい。
それは大それた後悔とかではないけれど、無意識に自信を失わせる原因になっている気がする。
それは決断が自分の本心に反しているとかではなくて、単純に「昨日の自分と同じ自分」でいることを決断した日からずっと繰り返しているから。
「積極的に選んだわけじゃないのに、まるで積極的に選んだかのように熱意バンバンで動き回るのは、昨日の自分らしくない」っていう縛りがある。
そういう逃げ腰をずっと繰り返している気がする。
別に、やることの中身は積極的に選んだことと変わらず、指と足と喉を動かして物理現象を淡々と起こすことの積み重ねなのに。やっぱり心の問題である。
結論
- いま積極的にひとり暮らししたい!と積極的に思っているのなら後悔する確率は低そう
- 消極的な決断スタートであっても、興味のあることに対してはバンバン動き回っていいと自分を許すべき
- 心の問題は淡々と指と足と喉を動かして物理現象を起こせば乗り越えられる
やっぱり何回も同じようなことに自分は直面している気がするな、という気持ちになる結論が出たところで、
今日はこのくらい。
○今日の過去記事○
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食べたことのないものの味はわからない。大学を卒業して思うこと。 - ザザイズム