クリスマスはモロッコ観光の定番、サハラ砂漠ツアーというものに参加してきました。
2泊3日で、1〜2日目午後にかけてサハラ砂漠方面に移動しつつ道中の遺跡などに立ち寄り、2日目夕方〜3日目早朝に砂漠滞在。
砂漠ツアーといいつつ、砂漠にいる時間はあんがい短かった。というのも、サハラ砂漠方面に行くにはアトラス山脈を超えなきゃいけない。
強烈な山道を数時間。トンネルはなし、ひたすら曲がりくねって登っていくので時間がたっぷりかかるのです。
体力もツアー通して死ぬほど削られました。
ツアーのホテルとテントがどえらい寒さだったし、
ホテルのシャワーが激しくぬるくて冷えたし、
砂丘のぼりが死ぬほどきつかったし、
寒すぎて洗濯物が濡れっぱなしだったし……。
もはや全自動体調ブレイカー。終わって熱出してもおかしくないなと途中考えてました。
でも、
砂漠の夕焼けと星空と朝焼けがほんとに素晴らしかった。
らくだの音と衣擦れの音以外はしーんとして。
ただただじわじわと暗くなって星が少しずつ出てきて。やがていつの間にやら満点の星空に変わっていくさま。
光が入らないところを探してしばしテントから歩いてみました。
ライトを消せばまったくの闇。
私がここにいるということもわかりっこないくらいの闇。このままずっと歩いていって、山の裏側で倒れでもしたら忘れ去られてしまいそうな、そんな闇。
とてつもない星空の下、ひとり。
スマホカメラのシャッタースピードを一番遅くしてただ撮り上がりを待つ、その繰り返し。
スマホなんで当然写りははよろしくないですが、
実際はこの数十倍きれいでした。
天の川が見えて、
細い三日月が低く浮かんでいて、
遮るものは砂丘だけ。
そんな世界。
その日、流れ星が3回ほど見えました。
そのうち1回は同じツアーに参加してた香港人の方とたまたま一緒に見ました。「見た!?見た!? Falling Star!!!」とはしゃいでました。
✻
最後に流れ星を見たのはいつのことだったでしょう。
小4だったかの自由研究でペルセウス座流星群観測をしました。意外とあまり見えず、目線ずらしたときにふっと見えるような幻覚がいくたびも起きた。
中3の頃だったか、かなり大きな流れ星を見ました。体感時間的には5秒くらい流れていたような記憶。友人と一緒の帰り道。
そのときは確か豚インフルエンザ騒ぎのときで、友人のとっさの願いが「豚インフル撲滅」だった覚え。
それ以降も、流星群と聞けば実家の出窓で布団被ってむりやり横になってながめるくらいのことはしてました。
ところが、大学入ったあたりから、流れ星を見た記憶がない。
「流星群」がTwitterのトレンドに入るのを横目にながめつつ、その存在はわかっていても、見に行くことはなかった。
ひとり暮らしはじめてからは観測条件がわるくなってしまったのも大きいでしょう。
でも、なんといっても、「見ようと思えば見られる」という感覚がずっとあったんじゃないか。
流星群のときになれば、ちょっと足のばしてちょっと空見てればぽこぽこ見られる。
その「ちょっと」を実際に行動に移す日が来ないまま、何年か経ってしまった。
✻
なぜ流れ星が好きなのかといえば、たんに珍しいしきれいだからという単純な理由。
願い事が叶うから、とか、そういうファンシーなものはない。
いっつも、見た瞬間、見た事実に満足して、「お願いごと」なんかする気持ちはまったくなくなってしまう。
そもそも、考えてみると「流れ星に願いごとをすると叶う」というあの言い伝え。
よく考えなくても無理がある。だいたい1秒もせずに消えてしまうものばかりだし。
「流れ星はめったにないこと。願いごとを言えるくらい長い流れ星はほんとうにめったにないこと。それくらいめったにないものを見たのなら、願いごとだって叶うんじゃないか。」
こういったことをひっくるめて、「流れ星に願いごとをすると叶う」というのかもしれない。
でも、こうも考えられるんじゃないか。
一瞬で思いつけるくらい強い願いごとは、叶えてしまいやすい。
あんなチカッて光るだけで、
「あ、流れ星だ!」の「あ、ながr」くらいで終わってしまうような。そんな一瞬で思いつくくらい、ひとつの願いごとを持っているとしたら。
引き寄せの法則とかいいますけど、もっと現実的なもので。
ほんの一瞬の思考って、うそつきようがないじゃないですか。
考えるより前にでてきた願い、それはまさに本音、といえるものなんじゃないか。
1秒で出てくるくらい、染みこんでいる願いごとなら、実現に向けた行動もいつのまにかしてしまっているんじゃないか。
そう思う。
✻
いっぽうの私。
「いちばんの願いごとは何?」と聞かれても、ぱっとおもいつかない。
流れ星の1秒どころじゃない。
初詣に行ってもぱんぱんっと手をあわせてる間、脳内では「あー、えーと、何願おう、とりあえず健康と安全と……」、と5秒以上はうろうろしていることが多い。
願いごとがまったくないわけじゃないけど、
目の前のわかりやすいこと、たとえば受験とか留学とか就活とかは出てくるけど、
遠いいつかのこと、たとえば行きたい遠いところなんかも思いつくけど、
そういうのとは少し質のちがうもの。
もっと具体的で、鮮烈で、
1秒もしないで思いつくもの。
そういう願いごとは探すものじゃなくて、「そういえばそうしてみたかったけど無理だと思ってた」ようなことをもう一度ひっくり返して日々の中に連れてくる、そうやってできるもの。
そういうものなんじゃないか。
ひとことでいったら「自分の気持ちに正直になる」ってだけのことだけど、
そんな1年に2017年はできたらいいな、と。
そんなことを思いつつ。らくだに揺られて朝焼けを見ていました。
砂漠ツアーそれ自体のことはまだまだエピソードまみれなので、また詳しく書きたいです。
今日はこのくらい。
◯今日の過去記事◯
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