GW中、グループホームにいるおばあちゃんに会いに行った。
元気そうで良かった。3年前おじいちゃんが亡くなった頃よりも顔色も肌つやも良くなっていた。
おばあちゃんは会えたことにとても喜んでくれた。
昔話をたくさんしてくれた。
私の勤め先の名前は何回聞いても覚えられないわ〜、と言っていたけれど、
昔の話は驚くほど詳細に覚えていた。
小さい頃は恵まれてたという話、
近隣に住む親戚の話、
戦時中の女工の話。
昔の生い立ちの話でも自伝にまとめようかしら、でも体力が続かないわ、
なんて活き活きと話してくれた。
おばあちゃんの個室は6畳くらい。こざっぱりとキレイで、ほとんど物がなかった。
ベッド、椅子、ハンガーラック、4段くらいの引き出し。
引き出しの上にはおじいちゃんの位牌と写真、私の卒業式の写真、昔に行った親戚旅行の写真だけが飾ってあった。
さすがにおばあちゃんはちょっとさみしいのか、元いたお家が恋しくなることはしょっちゅうある、と話していた。
✳︎
私はGW中、合計1週間くらいかけて自分の持ち物を片づけた。
過去の思い出の品も大量に手放した。
写真に撮れば実物は手放してもいいと思えたもの、
よく考えたら良い思い出ではない場面の写真、
悩みやネガティブをぶちまけたようなノート……。
本気で捨てがたい物はカラーボックス1つ分あるかないか。そのくらいだった。
そこまで物を減らせたのは、おばあちゃんの部屋を見たから。
けっきょくのところ、思い出は頭の中にあるものなんだと思ったから。
病院であれ家であれどこかであれ、一番最後に見てられるような物は、引き出しの上に乗るくらいのわずかな量しかないんじゃないか。
でも、意味深い大切な思い出は、わざわざ物を媒介にしなくったって、確実に覚えていられるものなんだろう。そう思えるくらい、おばあちゃんは昔の話をよく覚えていた。
同時に、なるべく若いうちに思い出に残ることをしたほうが良いと思った。そのほうが年取っても覚えていられる確率が高いだろう。いま、記憶に残るようなことをしたら、この先の人生何回もたっぷり思い出す時間が増える。
ちょっとぼけたって、何も思い出の品がなくったって、残る。
そんな記憶をどれだけこの先作り出せるだろう。
そんなことを思う。
今日はこのくらい。