ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

AIに投げれば済む時代に、あえてブログという「ボトルメール」を流すわけ

気づけば10ヶ月以上ブログを更新していなかった。
ブログを書くモチベーションがかつてなく低空飛行していた。

なんでそんなに書かなくなったのか。

端的にいうと、日々考えることの8割はこのブログには合わないトピックだと感じるから。
そして、残りの2割も家族・友人やAIに話して「アウトプットしたい欲」が満たされてしまうから。

アウトプットの主戦場はいまや他者やAIとの対話

最近はVRChatの友人に話を聞いてもらうことが多い。心置きなく話せる。まさにサード・プレイス的存在の友人がいる。
家族ともよく話す。VRChatの友人には話したくないことでも、家族になら話せることもある。

誰に話すのもピンと来ないような話は文章に書き出す。誰にも見せない前提で、個人日記アプリのDiaroに書き出すことをもう何年もやっている。
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加えて、最近は書き出した文をAIに投げて意見を聞く。「悩みの構図を整理して」「次に取る具体的なステップを提案して」と付けて聞けばいい感じの答えが返ってくる。
大抵の悩みはそこで満足する。

数年前に書くカウンセリングを受けたときはプロの手を借りて良かったと思えた。かなり気が落ちていた時期。
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ただ、今の日々のそこまでキツすぎないモヤッとした話を共有する相手としては、AIは優秀だ。日進月歩で、数年前よりかなり相談相手としてまともに機能するようになった。

たいていのことは文章で書き出して整理しているうちに、ほぼ自分で結論が出せる。AIに聞いても「その結論でいいんです」と肯定されがちな日々である。そっか、と気が済んで終わる。



それでもやっぱり「この悩みは誰々にも聞いてほしい」となることもある。
で、話してみると、鋭い言葉をいただけることが多い。私と相手の思考と経験に基づいた生気のある言葉。フラットな存在たるAIには出てこない言葉。

そして不思議なことに、相談って上手くいくと相手との関係性にプラスになる。自己開示は時に信頼関係につながる。
そうやって人やAIにアウトプットしていくことで、アウトプット欲を満たしていた。




ブログはフィードバックのない海を漂うボトルメール

一方、個人ブログはネットの海に消えていきがちだ。

個人ブログの時代からもう3〜4周は回っただろうか。動画の時代すらもショート動画の時代になった。

検索しても個人ブログが以前よりもずっと引っかかりにくくなった。「いかがでしたか」系の、書き手の顔と色の見えないブログはAIでさらに勢いを増して埋もれていく。
ブログはもはや滅多に人に届かないボトルメールのように感じる。

ブログ開設当初は脳内思考の7割くらいはブログのネタにできると思っていた。
でも、生活環境が変わっていき、今や8割がたブログに書けないと思ってしまう。ブログに書くためのある種の「検閲」作業が面倒に感じる。ならば「話せるなら信頼できる人へ」「話せないならAIへ」という流れができてしまった。

気づけば「ブログを書きたい」「文章としてアウトプットしたい」というモチベーションがどんどんなくなっていた。




久々に書こうと思えた理由

それでもわざわざ書こうと思ったのは、ある友人が書いた記事に触発されたから。
友人が誰かのためでも何かのためでもなく、友人自身のために書いた記事。

そんな文章が私もそろそろ書きたいな、と思って書いてみた。

友人の記事を読む直前に、あまりにも「AI臭い」量産記事が大量に流れてきて微妙な顔になっていた。
だからこそ余計に、AI特有のきれいすぎる箇条書きや見出しもない、脈絡はちゃんとあるけど漂白されすぎていない文章が心に残った。顔の見える文章、だと思った。

そんな文章が結果的に、私の10ヶ月以上止まっていた手を動かすきっかけになった。



だれに届けるでもない、ボトルメールだとしても。それが誰かの心のどこかに引っかかるのなら、それはそれで良いし、引っかからないならそれもまたよい。
そんな気持ちを思い出した。


今日はこのくらい。