ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

サン=テグジュペリ『人間の大地』

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読み終えるのが惜しい本に出会ったのはいつぶりだろう。

『星の王子さま』でおなじみのサン=テグジュペリ。『人間の大地』は彼自身の飛行士としての飛行や遭難の経験を元に作られた自叙伝的エッセイ。
これが素晴らしかった。ひとり旅好き、移動好き、飛行機好き、空好きにはこれ以上ないほど贅沢な本だった。



飛行機は決して快適ではない。
くたびれながら荷物検査と長いゲートへの道を這い出し、上空で雲に突っ込んでは揺れに手に汗を握る。寝ようにも熟睡とは程遠い寝苦しさに襲われる。つまるところ、疲れる。

それでも、飛行機が好きだ。
離陸とともに俗世から浮き立ち遠のく感覚。100年ちょっと前の人には見ようのなかった雲海の世界。追いかけ追い越し追い越される夕焼け空。着陸態勢に入るとともに眼下に広がる未知の世界。

そんな、この頃忘れかけていた感覚をこの本は思い出させてくれる。

車窓の向こうに、夜更けまで灯っている光の点がぽつぽつと現れる。野原が、村が、野原に潜んだ魔法の国が、刻々と流れ去っていく。手元に引きとめたいと思っても、それはむりだ。それが旅というものだから……。







著者は砂漠に魅せられる。

まだ開拓したてのサハラ砂漠の定期路線。その広大無辺さ、孤独さ。足跡どころか生命の痕跡一つないなめらかな砂漠の像がくっきりと浮かぶ。砂、星、風、大地。生命どころ木のかけら1つさえもない。それだけ。そんな世界。

唯一本当に価値のある富、つまり、あの砂の放つオーラ、夜、静寂、風と星の祖国を我が物にしたのは、この砂漠においてだったということを。


私も砂漠に魅せられたひとりである。3年前、モロッコでサハラ砂漠ツアーに参加した。
ただ、私の見たのは彼の描く孤独の世界とは程遠い世界だった。

私が足跡や車の跡がたっぷりの道を、ツアー客を乗せたラクダの隊列で進む。

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辿り着く場所は観光客用の固定テント。すぐ隣の砂山を駆け上れば、遠くの町が見渡せる。
少し離れても少し戻れば人がいる。そんな気配に満ちた世界。



彼の言うような、生命の気配の無いなめらかな砂漠は今でも地上にあるだろうか。今やGoogle Mapさえあれば空中写真を何百キロ先からも手のひらの中で見られる時代に、人の足の踏み入れられていない地がどれくらいあるだろう。

今はもう不帰順地域は存在しない。キャップ・ジュビーも、シズネロスも、プエルト・サンカドも、サギア・エル・ハムラも、もう神秘を宿してはいない。人に捕まって生暖かい手で触れられると、美しい色彩を失ってしまう昆虫がいる。それと同じで、僕らが足を踏み入れるたびに、砂漠は美しい地平線を一つ、また一つと失っていった。

旅行はいよいよ気軽になって。ありとあらゆる場所が踏み荒らされている。どうせ手の届く「神秘」は踏み荒らされていて。手の届かない神秘は私にだって手が届かない。そして私も神秘を踏み荒らす一員である。



それでも私はサハラ砂漠に感動した。
一番印象に残ったのは空。夜空は溢れんばかりの星で埋め尽くされ、流れ星がわずかな間に繰り返し空を駆けた。そして朝焼けの空。砂漠には珍しくか雲が湧きたつ。夜空の色がゆっくりと、ピンクや紫や青に変わっていく。20数ヶ国行っても、あれ以上に美しい空を見たことがない。そして、それは砂漠でなくてはならなかったのだろう。

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だが、彼はじきにうんざりしながら悟るだろう。唯一本当に価値のある富、つまり、あの砂の放つオーラ、夜、静寂、風と星の祖国を我が物にしたのは、この砂漠においてだったということを。





彼は空を讃え、砂漠を讃え、人間を讃える。
場所は変わって南米最南端の地、プンタアレナス。彼はその地がいかに奇跡的に成り立ったものかを讃える。そこに住まう人々を讃える。

僕は泉を背にして立っている。年老いた女たちが泉に水を汲みにくる。彼女たちがこれまでの人生で経験したドラマについて、召使いとして水を汲むその身のこなしの他に僕が何かを知ることはけっしてないだろう。一人の少年が壁にうなじをもたせて、黙って泣いている。この少年は、永遠に慰められることのない美しい子供として、ただそれだけの存在として僕の記憶に残るだろう。
僕はよそ者だ。何も知らない。僕には彼らの王国に入ることはできない。

人は人それぞれの世界を持っている。私にも私の世界がある。それは計り知れない、ひとつの宇宙といっても良いものだ。
そんなことを、輪郭のない考えとして旅行中に考えることもある。

私がこうしている間にも、旅先で出会った人々はそれぞれの時間と、それぞれの世界を生きている。ウズベキスタンで私を親切にも宿まで送ってくれた婦人。モロッコでぼったくってきた商人。オランダで出会った友人。
私はほんのわずか彼らの人生に顔を出して、またそれぞれの今までの人生の、自分とは想像のかけ離れた世界の上で、それぞれにとっての当たり前の日常を送っている。

真実というのは論証のしようのないものだ。もしオレンジの木が他の土地ではなくこの土地でしっかりと根を張り、果実を実らせるのだとしたら、この土地こそオレンジの木にとって真実なのだ。もしほかのどれでもなく、この宗教、この文化、この価値観、この活動形態が人の心の中であの充足感を準備し、眠れる君主を解き放つなら、この価値観、この文化、この活動形態こその人にとって真実なのだ。

「縁」や「価値観の違い」という言葉には収めきれない、そんな世界を生きている。







旅する理由、生きる理由、あらゆる問いと答えが押し寄せる。そんな本だった。

Kindle Unlimitedで読めるけど、紙で買って何度でも読み返したい。

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)




今日はこのくらい。




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