ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

おじいちゃんが亡くなった話

おじいちゃんの葬儀が無事お開きになりました。

近しい親戚が亡くなったのは記憶にあるかぎりでは初だし、
通夜・告別式・通しで出たのも初。
整理できたんだかできてないんだかよくわからない感じだけど思ったことをそのまま書いてみる。







おじいちゃんは90超え。
ここしばらく入院したり退院して通院したりを繰り返してて、
10年くらい前から祖父母家に行った帰り際のたびに
「今回が会えるの最後になる、なんてこともあるのかなぁ……」
って思ってた。正直。


でもなんだかんだ、今までは回復してた。
数年前だったかに入院して危ないんじゃないかと思った時も復活してた。
「最後かもなあ」って思うのがあまりにも毎回すぎて、ほんとにその時が来るって感覚はあまりないままだった。





本当の本当に最後に会ったのはつい2週間前くらい。
8月からオランダに留学、しばらく日本を離れるから、その前に会っておこうと。


オランダから日本はそう簡単に帰れる距離じゃない。
留学中に何かあっても行けないかもしれないな……というのは頭で論理としてはわかってたけど、現実としてはそう思えなかった。
「最後かもなあ」って思いつつ、「また会えた」ってのを繰り返しまくってたからなのか、
私の何事に対しても前もっての実感が湧きにくい性分のせいなのか。
なんだか不死身なように思えてたのかも。


亡くなったとの報が届いた時は呆然。
本当に急変だったからおばあちゃんしか死に目に会えなかったと聞いた。



留学中にお別れの可能性は覚悟しなきゃいけないとは思ってたし、
とはいえ留学後じゃないかなあと漠然と希望的観測を抱いていたけど、
留学前にお別れ、っていうのは、頭のなかにシナリオとして浮かんでなかった。不思議と。


一段落ついた今、
少しでも長生きしてほしいという立場からは不謹慎かもしれないけど、
ちゃんと私がお別れに立ち会えたのはよかったと思う。






葬式の参列者の多さにはびっくりした。
親族方だけで40人以上。私の知らない方ばかり。これは一体どこのサマーウォーズ?とハテナマーク浮かばざるを得ない光景。

知人の方も大勢駆けつけてくださって、お供物が驚くほどたくさん並んでて。
親族も知人の方ももう高齢だけあって亡くなられてる方が多いと聞いていたのに。これはびっくり。

なんでも「顔が広くて、情に厚くて世話好きだった」と。
でもそんなとこを自分からは何も言わないのがまたいいと。
私も初めて聞く話ばかりでびっくり。

その大人数で通夜振る舞いのにぎやかさといったらなかなかない光景だった。ここ数年会えてなかった従兄弟や伯父さん、会ってもあまりしゃべれてなかった兄や父とも、普段話せないようなことを散々しゃべれて、たくさん笑って、
でも不謹慎なんて感じは何もなかった。

従兄弟が
「おじいちゃんがこういう場を設けてくれたんだね」
って言ってた通りだと思えた。






そんなにぎやかな大往生とはいえやっぱりお別れはお別れで。
棺閉める前の最後のお別れの時、今までずっと呆然というか淡々としてたおばあちゃんが、
おじいちゃんの顔に触れながら
「あんた、起きなー」
って言ってたのが一番つらかった。






おじいちゃんは生前
「娘も息子もちゃんと安定して孫もいて何ももう言うことない」と言っていたそうで。
私は末の孫で、まだ就職していないのは私だけ。
末の孫だけあって、とりわけかわいがってもらったのも私。

私、もっとちゃんとせんとなあと。

ここ最近、もうまもなく留学行くっていうのに実感が湧かなくて、何となく無気力がえんえんと続いていたのだけど、
そうもしてられないなと。

まず生きて帰ってくるのが第一で、
帰国後おばあちゃんにおみやげ話して、
おじいちゃんの一周忌には進路決まったよとか報告して、と。
そのためにもっと自分頑張らないと、
そう思う。







まとまりないけど、とりあえず今日はこのくらい。