ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

娯楽はおおむね苦行だけれど

ネットをただ巡るだけの時間が増えると、どうしても心がくもってくる。少し距離を置いてみたい。
そんなことを思い、PCゲームをプレイしてみた。The Witnessというパズルゲーム。無人島をひとりさまよいパズルを解いていく。

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まだ6時間ほどしかプレイしていないけれど。前評判通り、苦行だった。


まずボリュームがとんでもない。それなりに時間使ったぞ!と思いきや進捗率5%に満たないのを見ちゃうと終わる気がしない。

つらいのが、3D酔い。VRヘッドセット被っていないのに頭の重みを感じるくらいぐわんぐわんする。

パズルゲームの問題をiPad上に写して解法を悩む時間が増えてからは良くなった。そのときが一番楽しく没頭できている感覚がした。このマスとこのマスは横並びだと入り切らないからこの位置関係しかないな、と詰めていく過程。あまり普段使わないタイプの頭を使えて、余計なことを考える暇を無くせる。

1ステージをクリアしてバンザイ、と思いきや次に見つけたステージが移動三昧であっという間にグロッキーに。ほんとうに苦行だなぁ。ゲームなのに。解けたときのすっきり感も強いけれど、解けないときの3D酔いの混じったグロッキー感が本当にしんどい。クリアできる気がしない。でも別に短期間でクリアしなきゃいけないゲームでもない気がする。いかんせんボリュームがとんでもないし。ライフワークとして、ちょくちょく戻ってくる感じで進められたらよさげ。

こうやってパズルを全力で解く時間は生産性がないか?少なくともネットの同じようなみたことあることをぐるぐる見続けるよりは生産性があったと思う。何かに没頭するのはやはり心地よい。苦行すぎて、テトリスくらいの難易度でアクションパズルしたほうがストレス解消効果は強そうだけど。The Witnessはもっと変化に富んでいて、どういう展開になっていくのかまだまだ読めない。そわそわする。




たぶん、娯楽には何かしらの苦行がつきものなんだろう。The Witnessだけじゃなくて。

美術館行くのもすごく疲れるし場合によっては人に気を使う、そういう意味では苦行。バイクもわかりやすく事故と隣合わせの不安があって苦行。ごろごろ寝ているのさえ苦行かもしれない。いつかは起き上がらなきゃいけないのに、ごろごろしていればしているほど起き上がるのが苦痛になる。ネットぐるぐる巡るのだってそれなりに苦行だ。ほんとうにためになる情報がどこにあるともしれないのに没入感ばかり失わせて。それを苦行と思わせなかったのはなんだろう?情報への渇望?自分の考えていることを誰かも考えているかもしれないという承認欲求?自分は誰かよりましな人生を送っているんだと思いたい気持ち?そんなの悲しいな、率直に。

一切皆苦だというのなら、できるだけましな苦を選べる範囲では選びたい。その上でデモデモダッテの呪文を抑え込む。だってどんなことだって苦行がまつわるのなら、ダッテ◯◯だからやりたくない、っていう話にしちゃまじでどうしようもない。全く動けなくなったらなったで動かなさすぎという苦行が待っている。



そんなことを思った。



今日はこのくらい。