「男は泣くなと言われて育ってきた。
女はそんなこと言われずに大人になった。
だから女はすぐ泣く」
そんな主張を見てふと思考が広がっていきました。
女の人がすぐ泣くんじゃないんじゃないか。むしろ、男の人が泣かなさすぎるんじゃないか。
いや、もしかすると、
男女関係なく、人って泣かなさすぎるんじゃないか。
世の中、見渡せばしんどいって声を漏らす人はいくらでもいる。
「感動した」ってコメントで溢れる記事がある。
なのに、なんでこんなにみんな泣いてないのか。
私、特に、感動して泣ける人、すごく良いなと思うのです。
というのも私、「感動して泣く」ことがなかなかないんです。共感する力が弱いのか、プラス方向の感情が乏しいのか。
だから素直に感動して素直に泣ける人のことをうらやましく思う。感情豊かな人は、良い人ばっかりと思う。
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「涙は武器」っていうのも、不思議だなと思います。
「泣いたらなんでも許されると思うな」って言葉も同じく不思議。
泣くのがあまりにも「異常事態」に思えるからこそ、いざ涙を見ると皆うろたえて、「武器」と感じるんじゃないか。
うろたえるどころか、「泣くな」と怒鳴りつけたくなるんじゃないか。
「泣くな」と怒鳴りつける人は、実は泣きたい人なんじゃないか。
泣きたいからこそ、人の涙を許せないんじゃないか。
泣いたら感情的で、思考できないやつ。
そういうものなのだろうか。
むしろ、泣いた後のほうが、泣く前よりずっと頭が働くんじゃないか。
泣くほど頭が働かないなら、もう仕方ないから、落ち着くまで休んだほうがいいんじゃないだろうか。
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泣くのは、「どん底がここだ」という宣言にもなるんじゃないか。
泣いたらそこがどん底、
あとは這い上がるだけ。
わりと、そんな気分になりませんか。
科学的にも確かなことみたいです。泣くとストレス物質が流れていくとかなんとか。
泣くこと、それ自体が「どん底」から這い上がる力にもなりうる。
とはいえ、悲しいのは、這い上がるまで待ってくれないことが多い現実。
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最後に誰かが泣いているのを見たのはいつのことだろう。
最後に男の人が泣いているのを見たのはいつのことだろう。
最後に女の人が泣いているのを見たのはいつのことだろう。
最後に辛くて泣いたのはいつのことだろう。
最後に嬉しくて泣いたのはいつのことだろう。
最後に感動して泣いたのはいつのことだろう。
最後に涙を我慢したのはいつのことだろう。
こういう切り口で物事考えるのって面白そうかも。
つまり、
いつ感情が動くのか、感情が動いた人を見たとき、どう思うのか。
それに対する答えって、結構自分がどんな人かっていうのをよく表してくれるんじゃなかろうか。
記憶を幼少期からうんうん頭ひねってたどるより、よっぽど自分ってものがわかるんじゃないか。
そんなことを、ふと思いました。