ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

食べたことのないものの味はわからない。大学を卒業して思うこと。

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先日、卒業式を無事に終えました。帰宅後につらつらと考えたこと。

「食べたことののないものの味はわからない」ということ。

「ろくでもない大学生活になるだろうな」

卒業して、この大学5年間どうだったって。ひとことじゃ言い表せないのは当然だけど、「良かった」。そういう思いは、はっきりとする。





わたしのはこの大学生活に期待してなかった。



そう思ったきっかけは、入学当初の部活・サークル一斉新歓のイベントに出かけたときだった。

不慣れな化粧をして、手持ちで考えうる限りのこ綺麗な格好をして。いそいそと大学に向かって。とあるサークルの説明を受けているときに隣に1人新入生の女の子がいた。綺麗な子。化粧もファッションも、まさにわたしの想像しうる限りの女子大生、という雰囲気の。学部が一緒だとか、気になる団体はあるか、とか、よくある話を交わしていた。お互い1人で来た新入生同士、共通の話題ならいくらでもあった。

サークルの説明が終わって2人で一緒に廊下に出た。飛び交うビラと呼び込み。そのとき、周りには体育会系の部活が多かった。
そして気づく。声をかけられるのはもう1人の女の子ばかり。「マネージャー募集中だよ」「話だけでも聞いていかない」「今晩コンパがあるよ」と。私は蚊帳の外。居心地悪くしていた。自分のみっともなさを呪った。



「あぁ、この大学生活、ろくでもない思いをする気がするな」と。そう率直に思った。




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さて5年後。果たしてろくでもなかったか。
ある一面はろくでもなかっただろう。「華の女子大生」的な時は過ぎ行きた。やってみたけど長続きしなかったことも多いし、留学も本当に実のあるものにできたかは自信がないし、就活は盛大にコケたし。


でも、この5年間を「ろくでもない」とは私は言えない。
言いたくない。言えるわけがない。





一番良かったことは人に恵まれたこと。私は大きく環境が変わると人間関係の構築に死ぬほど苦労する。中高ともに入学してしばらくは居心地の悪い思いをしがちだった。この点、大学はそういった期間がほとんど記憶にない。何かしらで心の支えになる友人が必ずいた。所属していた大学祭委員やゼミには恵まれた。他にも授業や留学でもお世話になった人は山ほど。いろいろ大変なことももちろんあったけど、人に恵まれた、それははっきり言い切れる。

絶対的な基準でみたら、友人がとても多いわけではないし、恋愛ざたはさっぱりだったし、そういう面じゃ全力で恵まれきったとは言えないんじゃね?と突っ込めるかもしれない。昔のもっとネガティブな私だったらそう突っ込んだだろう。
でも、私はそう思わない。


この大学にはいろんな人がいた。そのことを改めて思い出させられたのが卒業式で。ユニフォーム着た体育会系のお祝いだとか、あちらこちらのサークルの集まりだとか。こんな世界もこの大学の中に確かにあって、私とはきっと全然違う大学生活を過ごしてきたんだろうな、と思った。

どこか、何かの歯車がちょっとズレていたらそういった、別の輪のなかにいたのかもしれない。

でも、そういった別の道がいったいどういうものなのか。それは実感として伴えない。伴えるはずもない。経験してないのだから。想像も及びきれない。憧れる、とか、うらやましい、とか、そういう思いも浮かびえない。食べたことのないものの味がわからないのと同じで。食べたことのない、きっとおいしいんだろうな、と思うけれども、実際味の想像の出来ないものに対して食べたいとは焦がれることはできない。


そして、何より、私の食べられたものは自信を持って良かったと言い切れる。美味しいものぱかりでなくても、苦かったり酸っぱかったりもしたとしても、感想としては「良かった」のひとことでしかない。
いまの道が100点満点でなくて、現れえなかった道に100点満点があったんじゃないか。そう妄想することはかんたんかもしれないけれど。そうすることに意味はない。いまの自分は間違いなく今までの選択と運でできてきたものだから。それらを否定しきることなんてしたくない。わたしはわたしの辿ってきた道を全力で肯定したい。それを否定してしまったら、自分はまだしも、今までほんとうにお世話になってきた人たちを否定してしまうことになる。それは絶対に許せない。


そう、素直に思える。




将来のこと。

不意打ちに採用された企業に春から務める。正直どうなるかはわからない。
「食べたことのないものの味はわからない」。さっきとは別の意味で、そう思う。無責任かもしれないけれど、どうしたってそういう側面はどこまでもつきまとうんじゃないかと思う。

うまくいけばいいだろうし、うまくいかなかったとしても、どこかに、どうにか、少なくとも生き延びてく道はあるはず。と信じている。



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留学で、旅で、いろんな世界を見てきた。

卒業旅行の中南米行きの飛行機では不安でガタガタ震えていたのに、着いてしまえば圧倒的な面白さにすっかり不安は吹っ飛んでいた。

「世界は美しい」
「わたしは生きていていい」

そう思った。旅に浮かされたハイ状態だからだったかもしれないけれど、率直にそう思えた。

ここ1年間くらいは辛いことが多かったぶん、そう率直に思えたことはわたしにとって大きな意味を持って迫る感慨でもあった。




わたしのいまはきっとあの飛行機でガタガタ震えている状態の再来だと信じている。
「食べたことのないものの味はわからない」。だからこそ不安で。食べない限り不安は晴れない。でも、少なくとも食べなければはじまらない。


目の前のこと、今日のこと、それをひとつひとつやっていく、それ以上でもそれ以下でもない。そう思う。





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いろいろと考えを巡らせたところで、今日はこのくらい。




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