ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

壁と自転車と私のあこがれ

人の部屋に入る時、「壁」が気になりませんか。


例えば、アーティストのポスター。思い出の写真をたくさん貼ったコルクボード。寄せ書きの色紙。カレンダー。

私はとっても気になります。
まるで、その人の頭のなかををよく示しているような思いがするのです。

もちろん家具の配置とかそういうのでも「その人らしさ」は存分に出てくる。けど、家具の配置とかは、部屋の元々の形でかなり決まってしまう部分がある。

壁なら、まっさら。あとどう飾るかは本当にその人次第。
面白くないわけがないと思うのです。

赤い自転車

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私の部屋の壁はというと、非常に地味です。
壁の飾りらしいものはこの赤い自転車の絵くらいしかありません。あとは小さい白黒のウォールステッカーぐらいなものです。

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この、部屋の片隅にある何の変哲もない絵。

私は人の家に行った時はたいてい、壁に貼ってあるものについて聞きたくなるのですが、
私自身はこの絵について友人に尋ねられた経験が一度もありません。
それくらいひっそりした絵です。

でも、それなりに思い入れがある絵です。
誰にも聞いてもらえないのも寂しいので、ここで語ってみます。

出会い

一昨年の夏にニューヨークを訪問した際に買いました。

部屋の殺風景ぶりをさすがに少しはどうにかしたいと考えていたところ、たまたま小さなアートマーケットコーナー?というのかな?そんなものをを見つけたのです。

そこで見つけたのがこれ。
Two Arms Inc.というデザインチームの作品。
twoarmsinc.com
ここは、優柔不断な私、少し他の作品とも迷ったのですが
意外とすんなり購入を決めちゃいました。15ドル。ドルだと金銭感覚鈍りますコワイ。

ぴったり合う額縁が見つからないので、ビニールに入れたままセリアのウォールラックに乗っけています。

なぜ自転車なのだろう

なぜ自転車の絵にふっと引き寄せられたのか。直感といえばそれまでだけど、じゃあその直感はどこから来たのか。

私にとっての自転車は「どこへでもない場所へのあこがれ」の象徴じゃないかと思うのです。

私は小学生の頃、空想にふけるのが大好きな人間でした。

家の前の畑で、その間にある舗装された、全長80mくらいしかないであろう道路を自転車でゆっくりと往復するのが好きでした。

友達と遊ぶでもなく、遠くにいくでもなく、ただただ80mくらいの道を1時間以上往復してました。その間、ずーっと頭のなかではいろんな物語を創作したり、なんなら今なら二次創作といえるような、ゲームとかの続きの物語をぼーっと考えてたりして楽しんでました。めちゃくちゃ怪しい奴ですね。

80mの往復、それも歩きじゃなくて、自転車だったのはなぜだったのでしょう。
歩きだと本当に「地に足がついてしまう」感覚があったんじゃないか。
私が80mの道をひたすら空想にふけりながら走り続けて、そこで求めていたのは「地に足がつかない感覚」だったんじゃないかと。

頭の中の世界だったら、どこへでも行けるじゃないですか。そうやってどこへでもない場所へ行っている最中に、地に足をつけたくない。自転車なら足は物理的に地につかない。何よりそのするするっと走る感覚が「地に足がつかない感覚」としてぴったり。

そんな発想があったんじゃないかと今思います。

「どこへでもない場所」にふらっと行きたい衝動には今でもよく駆られます。期末レポートすっ飛ばしたい、とか。
そんな衝動が、この赤い自転車の絵を私に選ばせたんじゃないかと思ってます。
もっと単純に、色合いとかアナログ感とかフラットな感じが私好みなんじゃ!とも説明できるのしょうけど、ね。

皆さんは壁に何を飾っていますか。