期末期間まっさかり。文献の山と見通しの立ちきらないレポートに頭抱える日々。一進一退の日々が続いてます。
大学の図書館は猛烈な混みっぷり。テスト期間はどの大学もそうだろうけど、こっちはその比じゃない。席はそこそこあるように見えるけど、学生数に追いついていないのか、図書館以外で遅くまで空いている勉強スペースが少ないせいなのか。
昼間に行こうものなら本気で席が見つからない。一階の売店の混みようったら尋常じゃない。
開館時間も延長されて、22:00までから24:00までになった。
何にせよ、あと10日でレポートを書き上げねばならない。
もう授業はほとんどないし、時間だけはあるように思えるけど、冷静に考えて相当まずい。
方向性は決まっているけど、この方向性で本当にうまくいくのか、ものすごい矛盾してるんじゃないかと頭抱える日々。
問いと方向性はこれでいいとOKもらってはいるけれど、批判材料が具体的にまだうまくつながってない。
入り口と、途中の点と点は見えているけど、どうやって線で結んで結論にたどり着けるのか。
日本語だと若干力づくで無理やり結論持っていくパターンもよく使えたけど、英語で考えてるとそれが難しい。
代わりに論理を固めようとつめまくったらどんどん迷走してしまって、アウトラインすらもうまく立てきれない始末。
純粋にインプット量と理解量が不足しているせいか、
変に難しく考えすぎているのか、
レファレンス能力がいまいちなのか。
どれも当てはまる。
インプットと理解は本当に時間泥棒。あまり読むスピード速くない上、文章が難解なものが多い。
とりあえず精読する前に「こういう情報がたぶんこの本にあたればあるだろう」という仮説立てているけど、その仮説が正しくなかったらどうしような、という思いがある。あまり外れすぎるとレポートの要件満たさなくなってしまう可能性があるんじゃないかというのが一番怖い。
妙に細かいところが気になって頭のなかでひたすら考え込むクセも大発動中。
論理立ててる最中に仮想敵呼び込んでひたすら細かい部分を巡って戦っているような感覚。
完璧にスキのない論理なんてないんだから、
たかが数千字で語れることなんて限られているんだから、
あまり難しく考えたところでそんな仮想敵立てて二転三転する論理なんて展開できるような字数もないんだから、
と言い聞かせつつ、どうも袋小路にズブズブ入っていってしまう印象。
「こんな感じの根拠付けに使える材料がこういうキーワードと一緒にあったはず」と探し出そうと試みても、うまく探し出せないことがよくある。
電子リソースが豊富なだけあって、本文検索の対象も日本語文献と比べると俄然広くて便利。なのに使いこなせていない印象。
先月のスランプとは違って、スランプというほどはっきり追い込まれた感覚はない。
ただただ、進捗が遅い。よろよろと進めてはいるのに、先が見えない感覚。ぼんやりとした焦り。このペースじゃ絶対終わらない。けどどう進捗スピードアップすればいいのか。
あまり褒められるような生活もしていない。
「試験前だからしょうがない」と言い聞かせているにしてはあまりにも宙ぶらりんな日々。
勉強にどっぷり浸かれているかというとそうでもなくて、
かといって勉強以外に何をしているか、有意義に過ごせているか、と言われると自信がなくなる。
言語化の力
先日、昔少しだけかじったGTDを思い出した。タスク管理法の一種、ざっくりいうと脳内のリソースを解放するために気になることを頭の外に吐き出して管理する、というもの。*1。
このもやもやした状況をなんとか打開できないかと思って、ためしにざっくり実践してみた。
とりあえず「収集」。ひたすらやりたいこと・やるべきことをリストアップ。
最初はTodoistというアプリに、気になる大きなタスク(プロジェクト)については、紙にひたすら書きなぐってみた。マインドマップもどきの形でブレインストーミング。
そうしたら妙に頭がすっきりしてきた。
目の前のタスクに立ち向かう気力が湧いてきた。
手も足も出ないんじゃないか……と思った期末レポートに、かろうじて進捗を生み出せた。
でも数日経ったらまたもやもやと集中できない状況に戻ってきてしまった。
と思ったけど、最近考えたらリスト眺めてなかった。紙にも書いてなかった。
それをやり直したらまた蘇ってきた。
「書く」行為には不思議な魔力がある。
たとえ頭で「やらなきゃ」と思っていることがあったとしても、なぜか進まないことがある。
書き出した途端に、なぜか「やらなきゃ」という気持ちになる。
頭のなかで考え事をひたすらしていると、どこかでループしたりごちゃついたりする。
紙に書きなぐると、どこがわからなくて、どこがおかしいのかわかってきて、一本の論理を立てやすくなる。
以前も書いたとおりのことをまた思い知らされる。
脳内の思考って、思ったより言語とはかけ離れているのかもしれない。「イメージはこうなんだけど言葉に変換できない」って状況はいくらでもある。日本語もそうだし、英語で考えようものならなおさら。
それはまるで、言語論的転回の発想に通じるものがありそうで。
「言葉が事物に先立つのではなく、言葉が事物の存在を生み出す」
のなら、
「明確な言語化を経てはじめて思考が形を取る」のかもしれない。
考えているつもりでも、脳内にあるうちは不十分なのかもしれない。
私にとって、
「書く」って行為はもはや私の気力や思考のエネルギー源なのかもしれない。
それは食事とか、睡眠とか、そういうのと同列にしてもいいのかもしれない。
寝ないと考えられないし、
お腹が空いてると考えられない。
それと同じ調子で、「書く」って行為を補給しないと私は考えられない。
すぐ難しく考えたがる私は、ちゃんと「書く」って行為を補給して、脳内に詰まったものを外に追いやらないと、あっという間に頭から煙が出てくる。
そう考えるべきなんだろう。
*
以前、白い紙を買おうと決めました。
買いました。
500枚入りのA4用紙、3€。
一日3〜4枚使っても留学期間中に使いきれるか使い切れないか怪しいライン。
ちょっとでももやもやしたり、袋小路にはまりそうだったり、なんかぼんやり過ごしてしまいそうなときは、
とにかくこの紙をひっつかむか、Todoistを見に行くかを義務付けたほうが良さそう。
「頭で考えるな、紙とペンで考えろ」
「頭で考えてるうちは考えてるつもりにしかなってないぞ」
って、しばらく言い聞かせてみる。
そもそも、日本語でさえ思考に苦労するような難解な事柄を扱うのに、
英語で、しかも脳内で思考を完結させられると思うか?答えは明白でしょう。
脳内思考だけで完結させられない自分の能力を嘆き恨むんじゃなくて、
ちゃんと受け止めてペンを持つ。
やる気とか気力とかそんなの抜きで、その物理的な側面をだけを見つめて、ただ書き始める。そうやって、建設的に考える。
それを繰り返したらレポートが出来上がっていることを祈りたい。
今日はこのくらい。
◯今日の過去記事◯
www.zazaizumi.com
*1:こちらの解説がわかりやすいです。 写真でわかるGTD(初回編) (1/4) - ITmedia エンタープライズ