ここ数日ひどい落ち込みようで悩んでいます。
何しても気分転換にならない。
あまりにも典型的な話のような気がするし、日記にもすでに書き散らかしてるけど、ちょっとひどいのでここにも書く決意。
ちょっと前までは「またトラブルかもうしゃあないな行く先々多すぎてもはや笑えるわ」ってなってたのが、
一気に気力が底抜けて何をどうしようか本当に途方にくれている状態。
経緯。
- 2週間ほど前に今週末の旅行プラン(金夜〜月朝)に申し込む。行き帰り夜行バス泊&中日テント泊というとんでもないハードスケジュール
- しかも旅行からの朝帰宅直後に授業&プレゼン
- 前倒しでプレゼン準備を行く前に完璧にしようと注力
- 途中つまづいて想定より準備が遥かに遅れる
- プレゼン注力のおかげでふだんの授業の予習が疎かに
- 授業(ディスカッション)にまっっっったくついていけなくなる、よくあることだけどいつも以上
- 発言少ないのクラスメイト心配してくれる、ありがたいけど妙にプレッシャーのように感じてしまって落ち込む
- よく考えなくてもこんな状態で旅行行っても楽しめない苦痛にしかならない本気で頭痛の種と化してしまったのでもう旅行キャンセル決意
- 旅行キャンセル払い戻し不可、譲り先探すも見つからない、1万8千円分くらいをどぶに捨てる可能性大
旅行申込んだのは本当に後悔。
「今しか行けない」と思って、それでプレゼンの準備前倒しで終わらせるモチベーションにしようと思って申込んだはずなのに、実際ちゃんと前倒しで膨大な予習の傍ら取り掛かってたずなのに、
見積もりが甘かったのか、変なところにこだわって時間を無駄にしてしまったのか、
全然終わらない、予習も疎かになる、という本当にダメダメな状況。
正直傍目から見たらいかれてるようにしか見えなさそう。
行っちゃえばいいじゃん旅行こそ一生に一度あるかないかなんだし、お金払っちゃったのにもったいないじゃん、って客観的にはつっこめるけど、
今となっては苦痛の種でしかない。
バス泊→テント泊→バス泊なんてこんなハードスケジュールじゃない日帰りツアーも今になって出てきて、最初からそれがあればそっちに申込んだのに、って思ったりもしてさらに辛い。
どうも正常な判断能力を失ってしまったような気がする。
プレゼンそれ自体は日本でやってたようなこととそんなに変わらない。練習さえすれば、時間さえかければちゃんとできる難易度のはず。
なんて思ってたら変に時間かかったからこれからも時間がかかるんだろう。
予習だって焦点絞ってここだけは発言しよう、って見当つけて要領よくすればいいだけ。
なんて思ってもやっぱり時間がかかる。
ぶっちゃけ、授業の単位落としたとしても基本的に甚大な影響や罰則はないはず。
母校の卒業用単位は全部とりきってるから単位互換どうのを考える必要もない。
もっと気楽にいきゃいいやん。
それでも、謎の”プレッシャー”がのしかかってくる。
クラスメイトはみんなめちゃくちゃ優しい。
「一緒に予習しよう」とか「プレゼン練習したかったら呼んで」とか。
それがかえって心苦しい。
みんな優しさとか心配から言ってるはずなのに私にはプレッシャーに聞こえる。
周りの人はプレッシャーなんてかけてもいない。
プレッシャーかけているのは他でもない私である。
じゃあなんでプレッシャーかけてるのかというと、
また妙に完璧主義だったり変に落ちこぼれかかってる自分をちゃんと直視したがらない自分がいるんだろうなと思う。
「自分の出来る限りをやればいい」
「自分の『出来る限り』のレベルはそんなひどいものにはならない」
だろうなという推測はつくのに、
つねに罪悪感に満ち満ちているような気分。
別にいい評価とか単位とかは一切別にしたって、
ただ単に話についていきたいだけなのに、それだけなのに、全然「それだけ」じゃない。
周りの方々だってすべてを完全に理解しているわけではないのに、
発言だってもんのすごいことを言おうとしなくたっていいわけなのに、
それだけなのに、
私に取っちゃ「だけ」なんてもんじゃない。
自分の基準勝手に高くセットしてるところからどうにかしたほうが良いのか。
こっち来て1ヶ月半、授業始まって3週間ならうまくいかなくたって当たり前。
ただやるべきことリストアップして優先順位つけて、
目の前のことほどほどに頑張って、
目の前のことでつまづいたらちょっときつくてもなんとか言語化してヘルプ出して、
無駄になるであろうお金のことは期待しないでおいて、
それだけでいいじゃん、
て思うけど、
頭ではわかってるけど、とにかく判断基準がおかしくなってきている。
何がわからないのか、何が問題なのかを明確化・言語化する能力、端的に言えば質問力?も、もともとあまり強くないけどもっとひどくなってきているように思う。
客観視すりゃ、ようするに授業辛いってよくある悩みでしかない。
でも客観視したところで主観的な気分があまり変わらない。
やるしかないというだけ、それだけでしかない。
今日はこのくらい。