ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

カザフスタンを旅して「ドクサイ」に触れた思い出

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カザフスタンが今大変なことになっているという。

政府による燃料値上げを機に大規模な暴動が起きている。カザフスタンは産油国で順調な経済発展をしてきた国。「中央アジアの優等生」とも言われていたのに驚きだ、という声もあるようだ。

私は2017年にカザフスタンを6日間旅した。その時の印象からすると、信じられない気持ちもある。一方で、格差や市民の不満というのはこの短い期間でさえいたく感じた。だいぶ時は経ってしまったけど、せっかくなので当時の思い出をつづっていきます。




未来都市アスタナ(現ヌルスルタン)

前半4日間は首都アスタナに滞在した。現在は前大統領の名前にちなみヌルスルタンという名前になっている。大統領の鶴の一声で変わったそうだ。私は正直馴染めない。どうやら現地でもアスタナのほうが良かった、という声があるみたい。



私の旅は深夜1時に宿に入れない事件から始まった。
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すごく混乱した。けれども、その時に感じたのはカザフ人の親切さだった。英語がわからなくてもとりあえず声をかけてくれる通りがかりの人。別の宿に連れて行ってくれたタクシー運転手とのGoogle翻訳越しの会話。そんな親切さに、きっとなんとかなるだろう、と思えたのであった。




そんな強烈な幕開けのカザフスタン旅。

アスタナはまさしくSFの未来都市といった街だった。

広々とした土地にガラス張りやLEDディスプレイの踊るビルが林立し。
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随所に置かれた緑と花のオブジェの作り込みに驚かされ。
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国営石油企業カズムナイガスの要塞のごとき巨大オフィスに圧倒され。
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金ピカに光る塔に囲まれた大統領庁舎にこれでもかという産油国の勢いを感じた。
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アスタナは広さと作り込みのわりに、人口密度が驚くほど少なかった。どこに行っても広々としすぎているくらい、人が少ない。
この街が完膚なきまでに人工的な都市なのだということをはっきりと感じるには十分だった。




3日目、アスタナ万博に向かった。そびえたつ球体はカザフスタンのパビリオン。これでもかという未来を見せつけてきらびやかに光っていた。
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この球体の一番上から都市を眺めてみた。たくさんのビル群、その外側にコピペを繰り返したかのような集合住宅街、そこから先は突然ポッキリと人工物が途絶え、地平線まで続く草原が広がっている。
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SF都市と緑。鮮烈なコントラストだった。




アルマトイで出会った「ドクサイ」の話

その後、旧首都アルマトイに向かった。一気に旧ソ連らしい町並みになった。

樹木に覆われた通りとベンチが街の基本を成し。
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果物や肉やドライフルーツが積み上がる市場があり。
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そこら中になぜか空手教室があり。
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鳩だらけの広場のある教会があり。
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なぜか電子タバコの店に詰めかける人たちもいた。
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アスタナより、もっと人の生活の匂いのする街であった。





私がこの町で印象に残ったのは、宿で出会った男性の話であった。

彼はカザフ人で留学経験があり英語を話せる。どういう経緯かは覚えていないけれど、街を一緒に散歩することになった。



彼とは別に観光名所を巡ったわけではない。ひたすら彼の話を聞いていた。緑溢れる住宅街を歩きながら。天山山脈を望む噴水で私が学習中のキリル文字を読み解きながら。松の木のにょきにょき生えるとくに意図の感じられない公園に座りながら。

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彼は起業を目指し熱意にあふれていた。その一方で、カザフスタンのことを憂いていた。

「この国は"ドクサイ"だからね」と。
日本語の"ドクサイ"をなぜか知っていて、それを何度も口に出していた。


彼はアスタナがあまり好きではないと言った。アスタナは政府の作った作り物の街だから、と。

カザフスタンはここ数年どんどん家賃が高くなっている。建築中の住宅を指差して、「あそこにも新しい住宅が立っているけれども、その家だって高くて住むには苦しいんだ」と話していた。

"ドクサイ"のせいだ、万博開いている場合じゃないじゃないか。庶民の暮らしは苦しくなっていく一方なんだ、と。

つい数日前、アスタナと万博に訪れた私。そのきらびやかさに、日本なんてすぐ抜かれてしまうんだろうと思った。それはあくまでもカザフスタンの一面でしかなかったのだと痛感した。




彼は今どこにいて、この暴動をどう見ているのだろう。もしかしたらその中にいてもおかしくない。ニュースを見たときに思ったのは彼のことだった。





翌日、私はひとりでカザフスタンの日本人墓地に向かった。

地下鉄とバスを乗り継いでしばらく歩く道中はまったく観光地ではなく。あまりにもローカルな人の営みに溢れすぎていた。トタンを継いだようなお家がいくつもいくつも連なっている。

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一人で歩くには少し勇気が要る雰囲気。たった数日前の未来都市と同じ国とは思えない景色だった。

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そんなエリアのさなかに本当に日本人墓地が現れるとはなかなか思えず。

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見つけたときは少しほっとした。こんな場所にも日本との繋がりがあることに歴史の不思議を感じた。







私が旅行する前、カザフスタンの物価は日本と対して変わらないと聞いていた。けれども、違った。2016年当時で大体日本の1/3ぐらい。原油価格下落でカザフスタンの通貨が暴落したせいだそうで。

そんな変動も経た国がさらなる大激動を迎えている。カザフスタンで出会った人たちは無事だろうか。

もう4年経ってしまったことに信じられない思いもしつつ、当時のことを少しでも思い出してみた次第です。












◯今日の過去記事◯

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