ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

無計画な旅からしか摂れない栄養がある

無計画な旅がしたい。
都民割引を調べて時刻ピッタリクリック戦争に参加するだとか、Google Mapに行きたい場所のピンを打ちまくるだとか、そういったものからもかけ離れた旅がしたい。

欲を言えば、空港で出発便一覧を見て、その場で行き先を決めて当日券を買って旅に出る。そのくらいのことをしてみたい。


無計画旅の傍らに転がり込んでくる偶然はどこまでも愛おしい。明日どこに行くかどころか、近隣のどの国まで立ち寄るかもぼんやりとしか考えていないような旅。現地で出会った人からおすすめされたスポットにふらっと行く。同じ宿の人と一緒に夜ご飯を食べる。地図にも載らないようなマーケットを歩く。ガイドブックにもない町に立ち寄る。日常のたっぷり染み付いた住宅街を歩く。

もちろん、計画的な旅からしかとれない栄養もある。有名で人気な名所は無計画系飛び込みに向かないことが多い。名所が人気なのにはわけがある。パワーがある。計画は心の安定でもある。明日どの方向に向けて移動して、どこの宿にするのか、毎日毎日決断を迫られるのはそれはそれで負荷だ。終わりのない旅なら今日くらいはと決断を放棄して同じ場所に沈没する選択肢もあるけれど、たいていそうじゃない。計画を手放すことは、旅を成功・王道から手放すことと同義だ。

でも、無計画に旅したとして、計画的な旅だったらできたはずの経験ができなくなっても、あまり落胆しない。計画がないのなら、なにか特定の事柄への期待値が高くない。

スペインのグラナダ、アルハンブラ宮殿を思い出す。

モロッコから入ってスペインまで北上を計2週間、決めていたのは航空券くらいの雑な計画だった。アルハンブラ宮殿は本来1~2ヶ月前に予約を取らないとごく僅かな当日券を狙うしかなく。朝5時起きで向かっても当日券は取れなかった。けれど、予約必須エリア以外だけでも美しくて満足した。人は食べたものの味しかわからない。だからこそ、事前にゴリゴリ知識を入れていない限り、無計画ゆえの思いつきが失敗してもあまり落ち込まない。「計画したのにダメだった」が一番ショックが大きい。だから計画するなら半端に計画して地雷を踏み抜くんじゃなくて、しっかり調べたくなる。「ほどほどに無計画」にはけっこう無理がある。

無計画旅はだいたい1ヶ月くらいないとないと無計画感が出てこない。1週間くらいがいちばん忙しい。1日無駄にしたときの7分の1の価値と30分の1の価値には雲泥の差がある。1ヶ月休みとか、社会人になってから絶望的にやりにくくなった旅。それをこの先何十年もお預けな人生って、ちょっと考えにくいなとも思える。

クーポンやマイルや燃油サーチャージや円安やハイシーズンローシーズン、コロナや検査やビザや世間体、そんなワードのすべてをぶん投げて心のままにどこかに行ってしまいたい。私の日常とはかけ離れた非日常が、誰かの日常なのだと思える瞬間がほしい。



今日はこのくらい。











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