ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

「本に触る」ことの効用

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「紙の本」の存在感。ここ数年で、私の意識の中ではすっかり薄くなっていました。




私はいわゆるデジタルネイティブ世代。同世代の中でも根っからのデジタル人間です。
5歳で初めてパソコンに触れ、小2で独力でキーボード入力を覚えて以来、デジタル機器は私の友達でした。画像編集ソフトとも10年近い友達です。

その延長線上で、最近は生活のあれこれを電子化しています。例えば

  • 授業ノートをパソコンで取る
  • スケジュール管理をGoogleカレンダーに統一する
  • 電子書籍の活用(Kindle)
  • 論文などを印刷せずPDFのまま読む

などなど。


特に電子書籍の便利さったら、すばらしい。
iPadか何かあればいつでもどこでも大量の本が読める。単語長押しで辞書が立ち上がる。検索だってある程度できる。
専攻の本はさすがにほとんど電子化されくて、もう不便だな、と思ってしまいます。
紙の本の重たさったらないな、と図書館から借りた本を自転車のカゴに詰め込むたびに思います。

さらにさらに、私の部屋にはいわゆる本棚がないんです。据え付けのクローゼットの中に収納しているので、普段は紙の本が目に入らないんです。

こうして私の意識の中から紙の本はじわじわと迫害されていたのです。




しかし、つい先日、気が付いてしまいました。

紙の本の魔力。

それも、気軽に書き込めるとか、そういう次元じゃない。
本を開くまでもないんです。




本に触るだけで、心が落ち着く。





特に、カバーのない本のほうが落ち着きます。
私の持っている本はカバーのないものばかりです。私は自分で本を購入すると、たいてい本のカバーやしおりを外してしまいます。
受験生時代に、参考書についているカバーはペラペラして集中に妨げになるから外してしまえ、というアドバイスを実行した名残です。今では買った本は片っ端からカバーを外さずにはいられない体質になってしまいました。

少し本がくたびれたってオーライです。本をわざわざ買うというのはよっぽどその本が気に入ったか、もしくは図書館でまず手に入らないか、の二択です。特によっぽど気に入ったものであれば、カバー外して少しくたびれても「自分のもの感」があってむしろ愛着がわくものです。
そういった連想があるせいなのか。
タブレットとかの電子機器は、どんなに触れてもやっぱり「よそもの」感が拭えないのか。
謎です。



本とパソコンとタブレットとスマホに交互に手を触れるとやっぱり一番落ち着くのが本なんですよね。
なんかオカルトちっくでおまじないみたいですけど、事実なので仕方がない。


こういったおまじないこそが、昨日書いたような、部屋と気持ちのよどみを晴らす手段なのかもしれない。
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奇っ怪な発見のおかげで、ほんのちょっぴりだけど、春休みに希望を持てるかもしれない。
めちゃくちゃ変な話だけど。
希望というのは案外そんなふうな、てきとうな思い込みに根ざしたほうが強いのかもしれない。