ザザイズム

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デジタル・デトックスだけでは足りない?『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』

デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する

2年前、SNSをやめた。とても幸福感が上がり、ブログにも書いた。
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ひるがえって今、デジタル・デトックスと呼べる状態からは完全にリバウンドしてしまっている。SNS断ち記事がよく検索経由で見られているにもかかわらず、現状がひどいということを自分でもなかなか認められなかった。どうも、SNSだけ断つのでは足りないと感じていた。

『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』という本を手に取ったのはそんな時。自分が陥っている状況がまるで見透かされているようで、「なるほど」の連続だった。
書評というよりは、読んで我が身を振り返ってみた感想を書いてみる。

デジタル・リバウンドの過程

SNS断ちした頃から変えていないことはある。いわゆるリア垢は持っていない。SNSアプリはインストールしていない。

SNS断ちした頃から変わったのは、情報収集・連絡手段用にアカウントを作ったこと。VRChatでの情報収集・連絡手段としてのアカウントと、どうしてもDMでしか連絡できない場合用のアカウントを持っている。基本ブラウザ経由で使用。タイムラインは追わない代わりに、定期的にチェックしたいアカウントだけをリストで確認。

これだけ見ると健康的そうに見えるけれど、実際の運用はかなりぐちゃぐちゃになりつつあった。端的にいえば、ROM専としてのぬかるみにハマっている。「どうしても連絡として必要」「どうしても検索用として必要」として最低限の運用をするつもりで作ったアカウント。しかしそれらを経由して、情報収集と名を付けたネット徘徊の材料としてSNSを検索しまくったりジャンク情報を食らう時間が増えた。

この状況、再度のSNS断ちだけでは治らないと思う。SNSを断ったところで、徘徊先がTwitterの検索ボックスになるかGoogleとまとめサイトになるかの違いになりかねない。

今でもリア垢はいらないと感じている。ただ、SNSでしかつながりようのない人たち、集めようのない情報があって、それが自分にとって有意義だと思える場合にどう付き合ったら良いのか。諦めるしかないのか。そう思っていた。




デジタル嫌悪からのリバウンドよりも持続可能な戦略

以前『スマホ脳』という本を読んだ。

この本はスマホやSNSがいかに人類が数百万年かけて身につけた本能をハックしてくるのかのオドロオドロしさをひたすら強調するタイプの本。これはこれでショック療法として効いたし、確実にSNS断ちに成功した一つの要因であった。

ただ、この本は実践的なアドバイスが弱い。SNS完全断ちのショック療法には良いけれど、私には完全断ちし続けるのがかなり難しかった。情報収集・連絡手段としてのSNSの便利さを捨てきれていなかった。結果、ROM専のぬかるみにはまった。『スマホ脳』の知識、つまりシリコンバレーの天才が作り上げたドーパミンでデジタルの世界に引きずり込む仕組みの強靭さは脳裏にあったけれど。SNSへの扉を開けることへの不利益と、調べたいことが調べられない連絡できない不便さとを比べて、後者が勝って、足を踏み入れたら最後。あの手この手で中毒にさせようとする度合いが、ちょっと昔のSNSよりも遥かに過激すぎてやっばいのなんのあれ。何。ほんと。見事にしてやられた。


『デジタル・ミニマリスト』は『スマホ脳』よりも具体的な戦略作りを勧めている。デジタル離れのための3ステップと実例が紹介されている。

  1. テクノロジーを必要最低限のものを残して30日間断つ
  2. それに代わる余暇活動を探す
  3. 30日経過後、運用ルールを規定しながらテクノロジーを取捨選択して慎重に自分にとって最適なものだけを残す

この本で特筆したいのが、3.のテクノロジーを取捨選択してミニマルに運用していく過程。これが欲しかった。

まず、このステップがいかに難しいかを強調してくる。それに対して上手くいいとこ取りだけしよう、とするのは、ライフハックというよりレジスタンス運動の色を帯びていると。見た目以上に難しい修羅の道なのだと。

実感からしてすごく納得がいった。何億円と投資して人の時間と注意を奪おうとするシリコンバレーの天才たちの戦略に立ち向かうには、必然的に戦略が必要になる。なんとなく目の前のことを調べたいからという軽い気持ちで敵陣に踏み入れるのはあまりにも甘い考えだったなと反省している。Twitterなんてイーロン・マスクがCEOになってからよりその苛烈さを増している。戦略には戦略。「戦略なんてオカタイこと決めて守れる自信ないんだけど~~」なんてヘラヘラ言ってるようじゃ無理だった。でも難しいとはいえ、ある程度の成功例は本にも挙がっている。シンプルなのは時間制限。パソコンのブラウザ経由で週1時間だけ見る、といった形の制限。

この本がいいのは、無理に完全断ちすることを勧めていないこと。理由は明快、リバウンドするから。時間制限といった適度なつながり方のほうが長続きすると。

何かを金輪際やってはいけないとなると、不可解な心理が働く。たとえば、空いた時間があろうと絶対にネットには接続しないと決めた場合、小さな問題や例外がとめどなく生まれてきて手に負えなくなるおそれがある。心の一部は、芽生えたばかりの不接続への熱意に疑いの目を向け、その疑念を利用してあなたの決意をくじきにかかる。決意がゆらいだが最後、ルールを守ろうという意気込みも崩壊し、あなたは制限のない状態、ネットから離れられない状態に逆戻りしてしまう。

自分の現状にとって、図星すぎた。

私はデジタルに親しみすぎて、通常デジタルデトックスとして勧められる手法が効かないのかもしれない。例えばスマホからSNSをアンインストールしてもブラウザ経由でつなぎにいく。本には「パソコンからブラウザ経由でだけSNSにアクセスするようにしたら見る回数が減った」という人もいるけれど、私の場合そこまで当てはまらない。そんなときに「だから自分はダメなんだ」と流されるのではなく、「問題なのは戦略側だ」とちゃんと認識できるかどうかが効くのだと思う。




不便さを愛せよ

この本で印象的だったのが、スマホからウェブブラウザを削除した例。

魅力的な発想だと思った。最初の勇気さえ超えれば、もはや意志の力とは関係なくルールを守り続けられるから。海外では「ダムフォン」と呼ばれるガラケー回帰で強制的にデジタル・ミニマリズムを実現している例があるみたいで、それと似ている。確実に不便にはなるけれど、スマホを持つことによる弊害と、持たないことによる不便さとを比べて前者が致命的だと思えるのなら合理的な選択だろう。

私はまだスマホまで手放すつもりはないけれど、もしかするとこのレベルの極端まで行かないとデジタル・ミニマリズムを達成できないのでは?という気もする。ありとあらゆる戦略を試してそれでも満足が行かないなら本気で検討する価値はありそう。

でも、まずは自分でも不便を愛するところから始めるのが良いだろう。手近なところでスマホを置いて出かけられる時は出かける、スマホを持つにしても基本は機内モードにする、といったことを試している。そのうち、スマホなし旅行ができたらと思う。それができたらスマホなし海外旅行。でも緊急時用にガラケーというのはかなり理にかなっているように思う。いつかスペイン巡礼行ってみたいと書いたけれど、これこそスマホ置いていくのにピッタリな旅のように見える。
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細切れの40時間 = まとまった3時間?

この本に対してツッコミたいのが、「細切れの時間の合計」と、「まとまって取れた時間」をたんなる数字の尺度で比較していること。
著者は時間に対して得られる利益の観点から、SNSに時間を費やすのは「タイパ」が悪い例を説く。

たとえば、あなたは週に10時間をツイッターに費やしているとしよう。ソローならば、それで得られるわずかな利益の代償として、それはほぼ確実に大きすぎるというだろう。そして、人脈を広げることや興味深いアイデアにふれることに価値を見いだしているのなら、おもしろそうな講演会やイベントを毎月一つ選んで参加し、そのとき最低でも三人の参加者と話をする義務を自分に課してはどうかと提案するかもしれない。このやり方なら、似たような利益を手にしながら、ひと月ごとにあなたの生活のほんの数時間を費やすだけですみ、浮いた37時間をほかの大事な目標に振り向けられる。

でも、細切れの週10時間が取れても、まとまった3時間が取りづらい状況もあるだろう。例えば育児系アカウントとかで「育児は時間が細切れになるし気力も消耗する、だから細切れ時間にできるTwitterしかやれることがない」といった主旨の話を見たことがある。

まさにSNSの運営者はそういった層を狙っているんじゃない?と思う。そこへの対処法がこの本では思いっきり片手落ちに見える。まとまった時間を必要とするアクティビティばかり紹介するのは実用的に見えないなと。

私がSNS断ちをした初期はひたすら英単語暗記をやっていた時があった。でもこれはスキマ時間にしては気力が要る。RedditのNoSurfコミュニティでは、散歩、瞑想、書く、植物の手入れ、音楽を聴く、筋トレ、などが挙げられていた。

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この中だとごく短時間の瞑想が一番手っ取り早そう。究極目を閉じるだけでいい。準備時間の少なさ、単位時間の短さでいえばトップクラス。




リアル至上主義 vs ネットだからこそ実現できたこと

筆者はリアルでの体験・交流を重視している。ネットはあくまでもリアルの補強として使われるべきと説く。その例として、デジタル・デトックスを支援するスマホ並みに小さい本「マウス・ブック・クラブ」の例を挙げている。質の高いアナログ体験を届けるまでをデジタルツールが支えている。資金集めのクラウドファンディングや情報発信のためのブログ・Podcast配信、仲間を探すための会員検索など。

筆者は「ネットの有意義な使い道」=「ネットで知り合ってリアルで会う」といった図式を重視しているように見える。でも、ネットで完結するからこそ良い関係もなくはない感じがする。それがメインになってしまうのをこの本は戒めている感じがするけれど、現実としてネットの中で完結するやり取りで人生好転した人もいるだろうと。たいていはネットで求めるよりリアルで求めたほうが質の良い時間になりやすい、という純粋な確率論の話かもしれないけれど。ネットだけの関係が0%無意味ということもないよなと。

筆者の意図としては「そういったネットとの距離感は個々人で違うから個々に合わせた戦略を作ってね、ただデジタルを漫然とさまよう時間は減らすべし」ってことなのだろうけれど。ネットの美味しいところだけいただく戦略、やっぱり相当に難しいというか、研究を要する分野なのだと思う。

関連分野として、「VRChatは悪しきデジタル体験なのか、豊かなリアル体験なのか」という問いも浮かぶ。これはもしかしたら別記事で考えるかも。




もっと具体的な成功例を集めてみたい

この本、もっともっと具体的な付き合い方の実例が欲しかった。もちろん類書と比べればかなり具体的には書いてくれているほうなのは間違いないけれど。それでも、いざ実践するとなると迷う点が多々ある。

そこで見つけたのが、RedditのNoSurfコミュニティ。

www.reddit.com

拡張機能による閲覧時間制御や、デジタルライフの代わりにできるアクティビティのリストがある。何より成功例が細かく書かれているのが良い。

nosurf.net

こういうコミュニティが日本でもあればいいな。どうも日本のデジタル・デトックスは、スマホなしで宿に籠もるといった一時的なイベントか、寝る前はスマホをやるなといったライフハックレベルの情報が多くて。持続的に適切な距離を保ち続ける方法論が少ないように思う。それは英語でも同じかもしれないけれど。まだまだデジタル・ミニマリズムは研究途上なんだろう。


まとめ


デジタル・ミニマリズムの戦略はブログの一大カテゴリにしてもいいくらい先の長い話になりそうだなと思った。自分がこれから先どういう過程を辿っていくかはカテゴリを立ててみたので、随時書いていきたい。

デジタル・ミニマリズムの実験としてはてなスターを外してみた。この本の演習として「『いいね』をしない」が挙げられている。それなら「いいね」される機会も一旦削れるなら削ったほうがいいだろうと思いオフにしてみた。

いつもスターを付けてくださった方々には申し訳ないけれど、しばらくはこれで実験させてください。




今日はこのくらい。









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