ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

海外旅行から帰ると、日本も海外のように見える


長めの海外旅行をすると、日本もまた新たな海外旅行の行き先のように感じられる。トルコ3週間旅行から帰った後の日本はとてつもなく新鮮だった。日常風景として埋没していた景色が旅先の色を帯びて訴えかけてきた。


外国モードが抜けきらない視線で見る日本

アメ横近くを歩いていた時。いつもはスルーするはずの宝石屋が妙に目に留まった。ついこの間までトルコの通りやバザールでいいお店はないかと見つめ探し回っていたときの感覚が蘇る。トルコでおみやげ探しをしていたときの目線で普段通りすぎる店を見ていた。

浅草に出かけた時、寺社が新鮮に感じられた。ついこの間まで毎日モスクに魅入られる日々。日本の寺社の造形はモスクとはもちろんぜんぜん方向性が違っていて。脳内モスク鑑賞モードが抜けきらないまま見た寺社は意外性に満ちていた。

アメ横にも浅草にも外国人観光客がだいぶ戻っていた。そんなド観光地でも、見渡せど日本語のみ表記の看板や注意書きばかりなことに気づいた。トルコ語はほぼアルファベット表記だから、単語の意味はわからずとも親しみのない文字特有の異世界感はない。外国人にとっての日本はそんなもんじゃないだろう。完全に意味不明の文字が氾濫する世界。

外国人の目線で日本を見てみたくなった。日本語も何もわからない状態で、この町がどう映るのだろうかと。すごいインパクトだろうなぁ。




ついこの間までいたトルコ。歩きながら、これが現地の人にとっての日常風景なのか、と震える場面が幾度もあった。海峡を望む公園。1ブロックに1匹いるんじゃないかという多さの猫たち。チャイ屋でボードゲームにいそしむおじさまたち。

私が日々ぼんやり眺めているような景色も、外の目線で見たらとんでもない風景がたくさん混じっているのだろう。そんなことを改めて思った。







あっさり、歯に優しいご飯のありがたさ

帰国してしばらくは日本食が本当にありがたかった。あまり海外旅行で日本食が恋しくなった経験はないのだけど、今回ばかりは「あっさり」という概念のありがたみを感じた。歳なのか。

歯列矯正中で歯に優しい食べ物も恋しかった。噛みごたえのあるものを食べ続けると顎が疲れ果てる。主食がパンの時点でだいぶ歯にハードモードなことが多かった。帰国してしばらくは豆腐、納豆、うどん、そば、雑炊、卵とじばかり食べていた。帰国後初めての外食で食べたおろし山菜そばの美味しさといったら。これが500円ちょっと、70トルコリラくらいだなんて、日本は十二分すぎるほど外食の安くておいしい国だと改めて思えた。

べつにトルコ料理が嫌いなわけでも飽きたわけでもない。トルコ料理はなんでも美味しくて、名物すべてを食べきるなんて3週間ではまったく無理だったのだけれど。舌は喜べど胃と歯の悲鳴には勝てなかった。だから日本食が恋しい、というより、「あっさり」「歯に優しい」という概念が恋しくて、それが結果的に日本食だった。

胃と歯が回復してきた今は、むしょうにラーメンを食べたくなっている。

トルコ料理に麺類はなかった。旅行中も麺類に飢えて、わざわざイスタンブールのトルクメン料理店でラグメンを食べたくらいだった。これもそこそこ胃と歯に優しく、量も控えめ。中央アジア旅行でも食べまくったけれど、やっぱりラグメン好きだなと思えた。






部屋が部屋として成り立っていない

帰国してから何より新鮮に感じられたのが自分の部屋。3週間ぶりにわが家に帰った瞬間、すごく違和感があった。「部屋が部屋として成り立っていない」と思った。夫の一人暮らし時代の家具のままで、リビングの面積とまるで釣り合わない。隅には使わない古い毛布や家電やクッションが積み上がっている。

3週間、Airbnbにホテル、安宿~中価格帯までいろいろ泊まってきた。どの宿も部屋として立派に成り立っていた。当たり前のことだ。宿のわずかな備品と、バックパックひとつに収まる荷物さえあれば旅し続けられたのに。旅にも生活にも不要な物がこの部屋にはあまりにも多すぎると思った。私がいちばん長い時間を過ごすわが家が部屋として成り立っていないとはいったいどういうことだと。部屋づくりに力を入れるべきだと真剣に思った。

まずは部屋にトルコで買ったキリムを敷いた。ややパステルがかったニューキリム。

わが家の床はオレンジがかったテカテカしたThe日本のダサい賃貸フローリングという雰囲気。それが嫌いでフロアタイルか何かで埋めようかとさえ思っていたのだけど。

キリムを敷いたとたん、パッと部屋が明るくなった。圧倒的な美しさが床を支配してくれている。すごい。キリムさまさま。このキリムを中心に合いそうな家具を集めていけば、私好みの部屋になるだろうという確信を得た。部屋が部屋になれそうな期待を抱けた。

でも優柔不断は引っ越して1年経っても続きすぎている……。もはや何をどう決めればいいのかわからなくなってしまった。テーブルにしたって高さ、色、材質、大きさ、などなど要素が多すぎる。まずは不用品の処分を進めつつ、良き家具との縁が舞い込めばと願いつつリサーチを進めている。初めての家具選びで100点満点出すのは諦めるべきかな。それでも長く使えそうな、できれば最低限のリセールバリューを確保できそうな品質のものを買いたい。


振り返ってみて

過去の旅行の中でもここまで海外旅行モードが抜けきらなかった経験はなかなかない。オランダ留学も帰って1日2日くらいは異常な新鮮味があったのだけど、それ以降急激に薄らいだ。1ヶ月以上かけた中央アジアや中南米旅でもここまでではなかった。

やっぱり、コロナで3年ぶりというのが効いたのだと思う。でもさすがに帰国3週間近く経つと外国目線の新鮮味モードから日常埋没モードに戻ってきてしまう。一番まずいのは部屋づくり。部屋が部屋として成り立っていないその部屋で3週間暮らしてしまうとまた違和感が薄れてきてしまった。

せっかく脳内リセットできたのだから、それを生かして日常をもっと楽しめるようにしないと損だ。今年中、せめて今年度中までには部屋に人を呼べる程度には最低限部屋として成り立たせないと。




今日はこのくらい。










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