不思議なくらい旅行欲が沸かない。今冬は比較的余裕のある時期だったのに、週末旅行の一度も行かず。このままだと2月・3月両方にあった4連休チャンスもスルー。
コロナ只中の自分からみたらこんな自由な時期にどうして行かないのかと絶句されそうなレベル。
なんでこうなったのか考えてみた。
旅行欲が落ちた心当たり
決めるまでが面倒くさいから
いつも旅程を立てるのが大変。トルコ前もてんやわんやだったし、過去の旅行振り返ってもなかなか旅程立てるのって労力が要る。それが楽しいっちゃ楽しいのだろうけれど、ちょっと負担感が上がってきている感覚がする。
この前、チャットAIサービスに旅程を作ってもらえないか試してみた。あきらかに現地に存在しないスポットをオススメされるとかツッコミどころもあったのだけど。
ああ、旅程ってこんな感じだったよね、と思った。2泊とか3泊だとしてもいろいろできるよね、という例を見せられた気分になって。
もしかすると、AI丸投げで航空券とか休みまで決めてもらえたら行けるのかな?なんて思った。
価格が高いから
航空券は基本早いほど安い。「今買うのが一番安い」という勢いで突っ込めたところが、このサーチャージの高騰を見るに待ったほうがむしろ価格が下がるんじゃないかと疑い出した。
とはいえ、価格はあくまでも思考停止の材料にしているにすぎない。いつかに比べて高かろうと、払える範囲であると思うなら誤差でしかない。トルコだって航空券はコロナ前の1.5倍以上、円安で今と比べてさえ全てが1割増し価格だったけれど、あまりにも行って良かった。支払った額以上の、あの時しかできない経験があった。
そもそも世界的なインフレと日本の停滞を見るに、先々もっと安く旅行できるほうにベットするのはどう考えても分の悪すぎる賭けだろう。
トルコ3週間旅行が良すぎてそれを超えられる気がしないから
トルコ旅行はほんとうに満たされた。歴史ある文化と自然、ちょっと重たいけれど確実においしい食べ物たち、好みど真ん中の雑貨、なんだかんだでまだ良心的な物価、そしてたっぷりの時間。
出発前には旅程を半分しか決めず、あとは現地に行ってからの気分で決めた。
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実際、後半は地中海沿岸に行こうと思っていたのを思い切り計画をひっくり返した。現地の人との会話をきっかけに南東部に行くことに決めた。それが素晴らしくって、しかも「当分行きづらくなるから今のうち行っとけ」と未来の自分から言われていたかのようなエリアだった。
トルコ旅行当時は、日々疲れて体力きつくて、コロナかかってないよね?と一瞬と思うくらいの不調に見舞われたりもしたのだけど。帰ってみれば振り返るほど良く思えるし、あの時行っておいて良かったと心から思える。それだけの旅行を「してしまった」のだ。旅行に満足したというよりは、「あれで満足しないなんてテメーは強欲だな」と思っているのかもしれない。
行きたい場所はまだまだある。トルコでイスラム圏にいよいよ魅せられてイランも行きたいし、チベット文化圏のラダックもずっと行きたい。でも、そこに行けるのはいつなのだろう……と思うと気落ちしてしまう。
長期休みのために有休を温存したいから
絶対的な残り数字というより、忖度の範囲として、そんなガンガン休み使いまくらんほうがよいだろうと思っている。3週間も旅にどっぷり浸かる体験を久々にしてしまうと、心がそちら基準にめちゃくちゃ引っ張られている感覚がある。次にそんな長い休みを取れるのはいつだろうと絶望しているとでも言おうか。
9連休くらいの休みはほぼ毎年取れていたのだけど、9日間ってほんとうに難しい時間だなぁと思ってしまう。無計画な旅をできるほど長くもないし、かといってガチガチに計画を詰めるには長い。2泊3日くらいのハイテンションスピードで駆け抜けられる旅とも違う。社会人になって3週間休暇を取ってしまうとパンドラの箱を開けてしまったような気分になる。経験する前の感覚にはもう戻れないんじゃなかろうか。
旅行が自分のアイデンティティであるという義務感にとらわれているから
そもそも「旅行欲が沸かない」のを問題視するのはなんでだろう?と考えた時。義務感があると思った。
「ここに連休があるから金出して事前に計画して行くのが当然だよね」と自分に課しては自分で逃げ回るマッチポンプを起こしている気がする。あと「台湾・中国有事が起きたら当分行けないから今のうち行っとけ」というのも思っているけれど、これもある意味義務感だよね。
このブログもトルコ行くと決めてから行った後までほんとうに旅行のことばっかり書きまくれたのだけど、それら抜きに考えるといったい何を書けばいいのかわからなくなっていく。義務感に駆られてまでやりたいことなのかというと……ちょっとなぁ。わからなくなっている。
今はそういう時期だと割り切ってもいいかも
「今は仕方ない、そういう時期だ」と思っていれば、そのうち変わりそうな予感もする。
「あの時行っておけば」となる可能性もあるかもしれないけれど。それはもう仕方ないとしか。一人旅ではなくて、誘われるとかだったらもっとスッと動けそうだなとも思う。
旅の前提を見直す必要はあるかもしれない。特に理由も熱意もなくてもフラッとどこかに行っていいし、行かなくてもいいのだと。本やVRの世界を旅するのと、現実の旅に優劣を付ける必要はない。違うのは行きやすさとかの難易度だけであって、それは優劣とは違う。「旅のために生きていたようなものだ」とコロナ中には思っていたのだけど。けっきょく旅行しようがしまいが自分は自分なのだし。趣味くらい自分のしたいことをすればいいと当たり前のことを思う。
今日はこのくらい。
◯今日の過去記事◯