VRChatに最近魂を取られていて睡眠負債がすごいことになっている。あるコミュニティの人とよく会うようになってからめちゃくちゃ楽しくなってきた。
VRChatに登録したのは2年前で、それから何度も半年レベルの長期間のブランクを挟みまくっている。どのコミュニティにも入りこめないような気がしていた。美少女アバターになれること自体はあまり惹かれなかったし。それでもこの世界に可能性がある気がして、何度となく戻って、また休んで。去年まではイベントとワールド巡りで月3〜4回ログインくらいだったのが、毎日のように深夜まで、長いと朝まで何時間も入り浸るようになった。
VRChatはアナログとデジタルの中間
前、デジタル・ミニマリズムという本を読んだ。
www.zazaizumi.com
この本は制御できないほど多量の時間をデジタル体験に注ぎ込むことを戒めている。デジタル体験は現実の人付き合いの代替にはならない。現実の人の微妙な表情や声のトーンといった多彩な情報が短いテキストや「いいね」に集約されてしまうと、孤独感を生み幸福度が低下するのだと。
じゃあ、VRChatはデジタル体験か、それともアナログ体験か?すごく微妙なところを突いてくるように思う。個人的には完璧でなくともかなりアナログ体験に近い物があるように思う。
まず、声に表情がある。声の情報量って本当に多い。
身振り手振りに表情がある。ジェスチャーの効果はすごい。表現力がぐっと上がる。手話をしている人すらいる。
www.moguravr.com
同じ空間と時間を共有しているという感覚がある。VR空間で星空の下にいるのなら、目の前にいる誰かもまた星空の下にいるのである。
もちろんVRゆえの制約もある。
顔の表情は擬似的で、コツを掴まないと難しい。
使う五感は視覚と聴覚に限られる。あとはごく限られた擬似的な触覚があるだけ。嗅覚と味覚はない。
でも、視覚と聴覚の情報は他と比べてもとてつもなく影響力が大きい。思った以上に伝わると日々実感している。
VRは少なくとも生身の人間のWebカメラ会議よりもリアル感が断然強い。それでいて終電も何も関係なく、電源オフにすれば秒でベッドに飛び込める。
ちょうどデジタルとアナログの中間にいるように思う。
その時その場でしかできない体験が多すぎる
VRのリアル感は強烈な同期コミュニケーションに支えられている。その時、その場所にいないと経験できないことが多すぎる。
「FOMO(Fear of Missing Out)」効果すらあるかもしれない。FOMOとは元々はFacebookやTwitterといったSNSで話題に追いていかれたらどうしようという恐怖、強迫観念のことを指す言葉。
www.lifehacker.jp
例えばリアルの友人同士が自分のいない場で遊んだとしよう。友人からその時の話を聞いて、写真や動画を見たとする。当たり前だけれど、いくら後から見聞きしようとも、実際に会った経験とは別物なのである。写真や動画を見るだけでは代替しようがない。その場の雰囲気、その場で行われる会話のキャッチボールは生モノで、後から断片だけ取り出しても別物になってしまう。
全く同じことがVRにも起こりうる。その日のVR空間の雰囲気はその日だけのものなのである。
チャットやSNSの非同期コミュニケーションに比べると、VRはリアルと同じように時間軸にべったり縛られる。そもそも週5会社勤め以外の人が体感かなりいる。特に多いのはクリエイターさんで、いつ見てもログインされていることが多い。だから楽しいと普通に昼夜逆転したり睡眠時間がとんでもないことになる。
それだけの睡眠負債を払ってもそこで体験したいことが多すぎる。面白いことや心に残ることは夜が更けたあたりで発生しがちなの本当に不思議で。「VRChatは毎日が修学旅行の夜」と誰かが言っていたのはいいえて妙だと思う。
普段の生活圏じゃ出会えないいろんな人に会えて、知らない世界を大量に知れる。それはSNSの世界の暇つぶしや慰めではなく、現実の自分にとっても大きな学びになっている。私が体験したかったのは美少女アバターで可愛くなることでもギミックで遊ぶことでもワールド巡りでもなく、世界を広げる人との出会いだったのだなぁと。もちろんそれらも楽しいけれど、魂までもを引っ張るのはやっぱり人との関係性だった。
そりゃあブログの筆が進まないわけだ……。自分の中のいろんな最大公約数を取っているのがこのブログで、旅行とかがないと書けることが極端に減ってしまうもので。
とはいえ睡眠負債は返済しない限りは負債である。もう少し落ち着いて持続可能な状態に持ってきたいけれど、落ち着けないんだよな。この状態をいつまで続けられるかもわからないし。1日が50時間くらいあってほしい。
今日はこのくらい。
◯今日の過去記事◯