ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

新型コロナ騒ぎのゆるやかなストレスに向き合う

あまりにも予想通りにコロナウイルス騒動は深化している。

先々週、都内とネット通販でマスクが消えだした頃、地元は売れている気配ゼロだった。ホームセンターではN95マスクが平然と並んでいた。もうまもなく無くなるだろうと自分と家族の分を買った。その翌週、地元からもさっぱり消えていた。ドラッグストアから消え、スーパーからもじわじわと消え、しぶとく残っていた社内コンビニからも消えた。私の予測は当たった。


マスク全然無くなったね、と家族に話す。父が「5枚持ってるから大丈夫だ」と自信満々に言った。5箱、ではない。5枚。そこ自信満々に言うことか。数日前から中国で何人亡くなったとかのニュースを読み上げていた人と同一人物とは思えなかった。

外出を控えている。外食は最低限にし、カフェやファミレスで作業するのをやめた。電車も空いている車両を選ぶようになった。スーパー銭湯も行かない。映画館で見たかった映画も見に行けそうもない。アメ横や新大久保でハーブやスパイスを買い足せるのは相当先のことになりそう。家族と新宿のタイ料理屋さんに出かける計画も中止になった。百貨店のバレンタインチョコフェアはもう一度行こうと思いつつ、もう足を運べなさそう。教習はかろうじて進めているけれど、週1コマしか予約が取れない。このペースだとどんなに早くても5ヶ月かかる。恐ろしく長いとは思わないけれども、ただただじれったい。

旅行計画が進まなくなった。本当は3〜4連休くらいで韓国か中国のどこかの都市に行こうと思っていた。ぜんぶ計画ストップ。航空券買わなくてよかったと安堵する気持ちが少し、LCCセールを追い航空券検索を繰り返してワクワクする気持ちが失せた悲しみが大半。7月のハバロフスク・ウラジオストクの航空券は保持しているけれど、それまでにコロナ騒ぎが収まるだろうか。アジア人が寝台列車に乗り込んで忌避でもされないだろうか。そんな暗雲ばかりが脳内に立ち込める。こんな時こそ、いつもは外国人観光客で溢れかえる京都とか行ったらいいんじゃないか。そんな話も見かけた。なるほどと思いつつ、さすがに空いたと言ってもスカスカとまでいかない人混みにわざわざ出る気持ちは起こらない。
もしこの流行が私の卒業旅行シーズンに被っていたら、と想像すると心が痛む。キャンセルせずとも、世界中でここぞとばかり吹き出すアジア人忌避にやられていたかもしれない。デモやストが激しくない、感染症も流行っていない、国際的な緊張状態に陥っていない、気候が問題ない、自分の体調も良い、予定と予算が取れる。旅行に行ける条件が揃うのは本当に奇跡なのかもしれない。来週、多くの人が4連休を取るだろう。私もいっそのことタイのチェンマイでも行こうかと本気で考えていた時期があった。先のことなんてわからない。改めて思い知らされる。


家でやること

そんなこんなで休日は引きこもりばかりである。料理が捗る。最近は低温調理と刻まない炊き込みご飯にハマっている。Anova nanoという低温調理器を使ってサーモンのコンフィやローストビーフ、サラダチキンを作っている。納得いく出来にするのは意外と難しい。下味に1日とか地味にかかる場合があるから計画性が必要。炊き込みご飯は具材を刻まずまるごと炊くレシピに感動した。大幅な手間なく主食の栄養と満足度を向上させられるのはコスパが良すぎる。大豆とかいろいろ混ぜて主食だけで完全食を作れないか試行錯誤してみたい。

半身浴で読書にもハマっている。昼の14時くらいから17時レベルまで入っていることも珍しくない。自室だとモノを減らしてもやはり情報量が多くて集中できないけれども、半身浴なら他にやることが無い分集中できる。Kindleも良いけど、やっぱり紙の本が精神安定には効く。

とはいえ、何するにしても空虚さがつきまとう感覚がする。引きこもるのは好きなはず。だけど、他にいっぱいやりたいことがあるのに、平日には乗りたくもない電車に乗って行って休日は籠もる生活がどこか不調和な感覚を招いている。

東日本大震災の時を思い出す。暇すぎて、編み物を久しぶりにしたくなった。再開したての電車に乗って手芸用品店に向かい、毛糸を買った。その日は放射性物質が拡散した日だったらしいと後から知った。あのときの感覚がひっかかっている。


無力感はありとあらゆる方向に侵食する。多方面に対するモチベーションが落ちる。だいたい毎年2月はそういう時期だとしても。欲もワクワクもない。人生が前に進まない。ひとまず気になる本を数万円分一気買いし、NetflixかHuluの再契約を考えている。SNSに貼り付いて情報の嵐を浴びに行くのもやめたい。情報収集としてはいくつか信用できる方のアカウントだけ覗いて。追い回したところで結局、私にできることをこれ以上得られる気はしない。マスクがいくらで転売されたとか知っても何の意味もない。ウイルスは物理的なものである以上、できることは手洗い、消毒、顔を触らない、人混みを避けるくらい。そんな、耐え難いほど陳腐でセンセーショナルさの無い、だからこそ確実な物理的行為だけが頼りになる。そんな結論に達しつつある。

今日はこのくらい。




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