ゆるやかなストレスは確実に激化している。
一方で、私はおそらく恵まれているほうである。
職場もテレワーク推奨になり、引きこもって黙々と仕事している。ここ数ヶ月はキャンセルで悲しむような予定がほぼない。旅行、ライブ、イベント、約束、ほぼゼロ。もう1月末には航空券探しも止めていた。数少ない予定であった脱毛も延期した。パーソナルカラー診断も予約延期できないか問い合わせしている。教習所だけは渋々行っている。自転車で向かい、ギリギリ着のトンボ帰りで滞在時間を減らし、帰ったら手洗い洗顔風呂。ほぼ唯一の外出と化している。
テレワークはさほど大きな問題なく進んでいる。実家で学習机おばさんと化し、足入れ電気毛布にくるまれながらタイマーを回していれば捗る。休憩で周りの目を気にせずストレッチできるのも良い。昼ご飯は納豆と豆腐とお茶漬けと卵あたりの食材をちょっとずつ組み替えるだけ。消費カロリーが少なければ摂取カロリーも大げさである必要がない。通勤の時間的・体力的消耗がいかに大きいか実感する。完全リモートが難しいにしても、極力通勤が減れば解決する問題はいろいろありそうと思えてくる。とはいえもう少しフェーズが進むとリモート対応が難しくなる場面が必ず出てくる。その頃に状況が改善しているとはあまり思えない。むしろ今よりひどくなっているかもしれない。
ストレス解消手段
恵まれているのに、精神は刻々と蝕まれている。
この頃、引きこもり生活でできるストレス解消手段を探している。
筋トレ
運動不足の解消がてら、筋トレを始めた。Kindle Unlimitedで購読した本を参考にしている。
- 作者:とがわ 愛
- 発売日: 2019/01/11
- メディア: 単行本
意外とストレス解消になる。筋トレで良いのは、今、この時、一瞬一瞬に集中せざるをえなくなること。筋肉がプルプル悲鳴を上げている合間に世の中のことや延長している事柄など余計なことをごちゃごちゃを考えなくてよい。一種のマインドフルネス。そりゃ流行るわけだ。瞑想は心の筋トレと言うけれど、その逆も真で、筋トレは身体の瞑想なのだと思う。
英語学習
Ankiというアプリで黙々と英単語を暗記している。
play.google.com
語彙力診断してみたら壊滅的だったのがきっかけ。意外と続いている。英単語暗記もごちゃごちゃ余計なことを考えすぎず、淡々とやれるのが良い。昔触ったときよりもアプリの使い勝手も向上している。隙間時間にタイムラインやニュースをなぞるより、ずっと有意義である。
スマホゲーム
彼氏さんの気に入っているファミリーガイというアニメのゲームをつられてやってみた。
3マッチゲームというキャンディクラッシュとかと同種らしい王道パズルゲーム。だけどファミリーガイのブラックな世界そのまま、アプリ審査の限界に迫る恐ろしくアホで自由奔放なゲーム。スマホゲームなんてとんと手を出してこなかったけど、まぁ上手くハマらせる仕掛けがたくさんあるものだなと関心。そして、意外と精神が安定する気がする。テトリスにあるらしい抗不安効果の一端が表れているのかもしれない。
karapaia.com
ただ、ハマらせようという仕掛けが多すぎてちょっと疲れなくもない。そこそこ満足したし、没頭状態を作れるもうちょい別のゲーム、いっそ将棋とかでも勉強してみようかなと思い始めている。
SNS・ニュース断ち
ニュースをつい追いたくなる。私にできることは一つ一つ潰してきたのに、これ以上ニュースを追ってもできることは変わらないのに、なぜこれ以上ニュースを日に何度も追いかけたくなるのだろう。
今Twitterには小中高一斉休校の阿鼻叫喚地獄が溢れている。デマを撒き散らすようなアカウントはフォローしていないにせよ、影響範囲が広すぎるがあまりの負の感情の量に流石に辛くなってくる。
まさにこちらの記事に何百回でもうなずける。
p-shirokuma.hatenadiary.com
「見たくないものは見なければいい」というネット処世術は、見ないで済ませて構わないことに対しては良いアイデアだけど、「見ないわけにはいかない」「実生活にまで迫ってきている」ことには通用しそうにない。
新型コロナウイルスのせいで消耗している - シロクマの屑籠
もう危険域に達している。そう思って完全にシャットアウトしたほうが良いのかもしれない。我が身に関わる重大なニュースは家族や職場から否が応でも流れてくるだろうし。負の感情を浴びて気持ち悪くなるよりは、死ぬほどくだらないゲームのほうがずっとましかもしれない。
私は恵まれている。リモートワークできて、キャンセルになって悲しむイベントもほぼなくて、子供もいない。騒ぎの少しばかり外側にいるはずなのに、この苦しさだと、渦中だといかばかりかと思ってしまう。そして私がその渦中真っ只中になるかもわからない。ウイルスは平等である。
出かけたいところ、食べに行きたいもの、旅行したいところ、先々の楽しみを考える時間が消えた。
Google Photosが2年前の今頃は中南米旅行していたと写真とともに伝えてくる。
私の目で見てきたとは思えない光景の数々を前に、2年前とは思えない現実味の無さを覚える。当たり前に旅行を実行できるという現実味が薄れる中、よりいっそう遠く感じる。
今日はこのくらい。
◯今日の過去記事◯