ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

恋愛やDVに限らない、人間関係の処方箋。『デートDV予防学』

シングル単位思考法でわかるデートDV予防学

精神が落ち着いてきたと思ったら、またやられてしまった。今までのつらさが予行練習だったかに思えるようなきつさだった。

再びもんどり打って、回復して不安感が落ち着いた今。問題の根本治療に取り掛かっている。これから先同じようなことが起きた時にどう対応すべきか?と。

以前、『デートDV予防学』という本を読んだ。婚約ブルーで悩んでいた頃に友人から勧められた本。直接的にDV問題に悩んだ経験はないけれど、タイトルとは裏腹に人間関係や人生への向き合い方全般へのヒントに満ち溢れている。

今、改めて読んでひっくり返っている。
今向き合っている問題にもめちゃくちゃ役立つ。だいたいの人間関係の問題、ひいては人生に対する処方箋なのでは?と思う。

課題の分離、人と自分の境界線を引く

この本は「シングル単位思考法」を中核に据えている。

自分は主流秩序とは関係なく自立し、自分の価値を見出し、「他者が自分をどう思うかは他者の問題だ」と課題を分離する。
いくらパートナーに問題があったとしても、パートナーに対して暴力を振るうという手段を選んだのは自分の選択であり、自分の問題なのだと。

ベストセラーになった『嫌われる勇気』で扱われていたのとほぼ同じ。この本ではDVや恋愛関係の例を中心に据えて端的に語っている。
 

暴力的対応をとるか、非暴力的対応をとるかは、100%自分の問題です。相手は関係ありません。相手も悪いとか、先に相手が手を出してきたとかは、いいわけでしかありません。「7対3で相手にも責任がある」と、自分の責任を軽くするような発想で向かうべき問題ではなく、相手がどうあろうと、ある「刺激」に対して暴力的対応を選択した点で、100%自分の問題なのです。

 
暴力の例だと今の私にはあまり身近さがないけれど。
どちらかというと、「これだけ尽くしたのに」「私ばかり」という気持ちのほうが私には親近感がある。それにもちゃんと戒めがある。
 

相手がどれだけ私を愛するかは相手の課題、相手の自由です。相手に「私の尽くす量と同じ量だけ愛せ」というのは、相手の自己決定領域に手を出すというまちがいに陥っています。

 
いくら他者に関わっても、他者を助けようとしたとしても、他者がどう行動するかは完全に自分の問題ではない。
他者に何かしらの行動のインスピレーションを与えることくらいはできるかもしれないけれど、他者が何を選ぶかはその人の課題であり自由である。

最近の出来事を通じて、改めて他者と自分との分離について見つめ直しまくっていた。頭でわかっていても心が着いていくかはまた別で。それでも自分に言い聞かせ続けねばならないと痛感している。



主流秩序から脱却して、自分の道を見つける

この本がいい意味でタイトル詐欺すぎるのは、人生をいかに生きるか?人生の課題とどう向き合うか?を問うていること。

「世の中一般的にはこうだよね」という価値観を丸呑みにせず、自分の道を探すべきなのだと。
 

自分の生い立ちにかかわるような「自己肯定感の欠如」「自分のDV性」「主流秩序を内面化している自分」「人を信じられない自分」に向き合うことは、大変なことです。主流秩序の上位という指標ではないところでの、自分のよいところはなにか、自分のしたいことはなにか、という人生の中心的な問題に目を向けて見つめていくのは、至難の業だからです。お金やかわいさといった世間的な価値を基準にして生きたり、さみしさを安易にごまかす相手とつながって、恋愛だけに目を向けて、自分の中心的な課題や真の自立から逃げるのは安易な道なのです。
 
でも、人に左右されずに本当に幸せになるためには、いつかは、従属や依存、わがままという「カップル単位的な甘え」から離脱し、自分の課題を見つけて、主流秩序にとらわれず自信を持って自分の道を歩むことが必要です。
(略)
 
・自分の自立とはなにか
・自己肯定感を持つにはどうすればいいのか
・自分を肯定するための自分の価値基準とはなんなのか
・自分に自信がないから逃げているのではないのか
・自分の感情ばかりにこだわって、相手のことを考えられないのはなぜか
・自分の感情をコントロールするにはどうしたらいいか
・相手を信頼するとはどういうことか
 
「人から、世間的な基準でうらやましいと思われること」を自分の生きる基準にする必要はありません。写真をSNSにアップして、他の人に「この人、幸せそう」と思われることが重要なのではありません。あなた自身が主流秩序とは別の基準で自分を肯定でき自立しながら相手を愛することができるのが幸せなのです。そこに気づいてほしいと思います。

 

恋愛や「カップル単位的な甘え」を他のことに置き換えると、あらゆる悩みにいえること。何かしらに依存して現実逃避する構図はよくある。他の人や世間一般にこう言われているから……という価値観をそのまま自分のものにする構図もよくある。

それに今の私が陥っていないか?と問いかけないといけないのを痛感していて。自分の人生を他の誰かが代わりに生きてくれることは永遠にないのだから。結果的に誰かの言っていっることを妥当だと受け入れるにしても、その前に自分に問う必要がある。

一方ですべてを問うている時間があるわけでもない。「睡眠は大事」とかは無批判に受け入れても良いだろうと経験的にわかるけれど、もっと微妙な問題はそこかしこにある。本当に大事な問題って何?という問いも必要で。難しいなとつくづく思う。



処方箋はだいたい同じ

今向き合っている問題は夫婦関係でもないし婚約ブルーのときの問題にも似ていないのだけど。処方箋としてはこの本で言っていることがあまりにも当てはまりすぎる。根本では同じ問題をいろんな角度から繰り返し解いているんじゃないかと思ってしまうくらい。

ちょっと本腰入れて向き合いきりたい。それには長い時間がかかるかもしれないけれど、そうする価値はある。改めてそう思えた。




今日はこのくらい。




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