ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

幻と化したスペイン巡礼、いつか行ける日まで

Camino de Santiago, May 2008


スペイン巡礼カミーノ・デ・サンティアゴの番組を観た。約800kmの距離を1ヶ月程かけて踏破する旅。

www4.nhk.or.jp

母が録画していて「これ、あんたがいつか行こうとしてたところでしょ」と言われ。何ともなしに観始めた。最初は少し苦々しい複雑な思いがした。けれどもすぐに魅入られ、終わる頃には感詰まる思いがした。



幻と終わったスペイン巡礼

苦々しい思いがしたわけを考えてみる。

私は大学3年の夏、3週間のスペイン巡礼を計画した。大学生の長期休みにしかできないことをしたい、予算低めでも長期間どこかに出かけたい、何かを変えたい。そんな思いから、勢いで航空券を購入。出発まで2ヶ月切っていた。今までの貯金を全部はたく気持ちで、大慌てで靴や持ち物を調べ始めた。

その矢先、盲腸にかかった。5ヶ月ぶり2度目。朝起きたら腹痛からの嘔吐。救急車を呼び、その日の夕方には全身麻酔手術で盲腸とおさらばした。とてつもないスピード感。あっけなかった。

ちょうど出発の2週間前。病室では無理やりポジティブに考えていた。「スペインでかからなくてよかった」「もう二度と再発の恐怖に怯えなくて済むんだ」と。翌年にオランダ留学を控える身として、ところ構わぬ再発リスクのある体内爆弾とおさらばできたのは安心ではあった。

でも、スペインを諦めたくなかった。多くない貯金と、安くない航空券。数少ない長期旅行のチャンス。あがいた。2週間後に出発して3週間も歩き通すのは無理だろう。でも、1ヶ月後に出発し1週間ふつうに旅する日程にはできなかろうか。必死に可能性を求めた。結果、親に猛烈反対を食らいあえなくキャンセルとなった。



かくして、スペイン巡礼は失われた。

それから、私の旅程候補にスペイン巡礼は挙がらなくなった。



なぜだろう。

まず挙げられるのがオランダ留学。ヨーロッパ圏に滞在したから次の休みは他へ、という思考になった。結果、中央アジアや中南米に飛んでいった。しかもスペイン巡礼は冬以外の長期間である必要がある。厳しかった。



それだけではない。私の趣向の変化も影響している。

番組では巡礼者同士の交流にスポットが当てられていた。ひとり孤独に歩き続けて自分と向き合う、というより、世界中の人々との交流を通じて自分と向き合う色が強かった。巡礼宿で初対面の旅人どうし、顔を突き合わせてご飯を囲み語らう映像。そんな場面が私のバックパッカー経験でも幾度もあった。そんな交流を楽しむ感覚を思い出した。少し疲れることもあったけれど、人との出会いはどこでも鮮烈な印象を残した。

ひるがえって、ここ数ヶ月の外出自粛。私がどれだけ引きこもり適性のある内向型人間かを改めて知った。密な食卓を囲んで見知らぬ人と話す時間が私にもあった事実があまりにも遠く思えた。

社会人になってから、旅先でのバックパッカー的ふれあいを一度もしていない。そもそも誰かと複数人の旅が増えた。そして一人旅をしたところで社会人の旅に余裕はない。時間的にも、心的にも。人に心をしっかり開こうという前に、スマホを握って失敗しないように、無事帰れるように、無事楽しめるようにと行動することがメインになった。そういう中で、見知らぬ人との出会いを楽しむ余裕も薄れていた。



加えてここ数年、ひとりで心と向き合う行為に惹かれている。例えば、カイラス山巡礼、ラダックの大自然、瞑想センター。
Kailash
それらは巡礼者との交流というよりもひとりきりで、自然か、自分の心と対峙するのがメインで。ある種の「外こもり」願望である。身体は日本と遠く離れた場所にいるかもしれないけれど、精神は目の前の何かを介して内側に漂っている感覚。そういうものを求めるようになった。

何より、社会人には時間が取れない。スペイン巡礼路を毎年1週間とか少しずつ歩く人もいる。けれども、私の巡礼イメージには合わない。長時間、ひたすら、歩く。それにこそ巡礼の価値があるような気がしていて。1ヶ月の休みはふつうに日本の社会人をしている限り絵に描いた餅のような存在である。




そんな変化の中で、スペイン巡礼は遠い存在となった。けれども、完全に忘れたわけではなくて。「人生でやりたいことリスト」に隔年くらいで登場する。毎年、ではなく、隔年。それがこの微妙な気持ちの揺れを象徴している。




いつかまたスペインで

スペインは私を拒否する。大学の第二外国語選択ではスペインと南米を旅行したいからとスペイン語を希望した。抽選であっさり落とされた。簡単という噂が流れて人気らしい。そんな動機じゃないのに、と悲しんだ。スペイン巡礼は見透かしたような盲腸で阻まれ。何か呪われているのかと思った。

それでいて私はスペインが好きである。もっと言えば、スペイン語文化圏が好きである。

留学中、スペイン南部のアンダルシア地方を1週間旅した。最高だった。美しい街並み、美味しいご飯、イスラム文化とキリスト文化の混じり合う雰囲気、素晴らしい気候。再訪したい国ランキングのトップ3に入る。

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同じスペイン語圏のメキシコもトップ3に入る。スペイン語を個人的に勉強しようと何度も思ってはごく初級の段階で手を止めている。英語学習に今まで使ってきた時間を思うと、趣味のわりにはあまりにも時間的コスパが悪いような気がして。でも、番組から聞こえてくるスペイン語で、知っている単語がひとつでもないかといつの間にか耳を澄ませている自分がいた。


大学3年で巡礼路に出ていたら、人生がどれくらい変わっていたのだろう。わからない。けれども、いつか、縁が回ってくるかもしれない。


番組の美しい映像を眺めながら、このコロナ禍のおかげでどれだけの当たり前が吹き飛んでいったのかも思った。密の極みみたいな巡礼宿、歌い踊る人々、気軽に話しかけ合い語らいハグする人々。石畳の美しい街並みも、精巧な大聖堂も、今の自分に訪れる手段はない。すべて遠いおとぎ話のような存在になってしまった。

でも、こうも思った。巡礼路の歴史は1000年以上。当然、ペストやスペイン風邪や数多のパンデミックを超えて存在しているのである。たかが数ヶ月の私の落ち込みなんて屁にもならないくらいの存在だ。私はポスト・コロナに関して、世界が不可逆的に変化して戻らなくなるであろうという悲観論者である。でも、もしかしたら思った以上に戻ってくれて。今スペイン巡礼よりも優先度が高い旅先も無事制覇して。またいつか私の考えが変わって。いよいよ、やっぱり、あの地を踏みたいと。そう思える縁がいつか来るかもしれない。いや、来そう。何年先になるかわからないけれども。そう思った。



今日はこのくらい。


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