ザザイズム

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1万年の歴史と文化の交差路。トルコ南東部旅行の思い出―トルコ・シリア地震に寄せて

トルコ・シリア大震災にショックを受けている。昨年10月に旅行したトルコ南東部エリアを直撃し、凄まじい惨事になってしまった。

被害の範囲がとてつもなく広すぎる。トルコは広い国なのに。バス移動でのんのんと揺られた時間を思い出す。都市間の距離は相当あるのに、あの都市でもこの都市でも震源地と見紛うような状況。信じがたい。

今回被害に遭ったエリアを旅した思い出を振り返る。

トルコ南東部は美しい地だった

10月にトルコを3週間旅行した。後半回ったのがこの震源周辺の南東部。

私が南東部で訪れたのは4都市。最も震源に近い都市はガズィアテンプ。ガズィアンテプから150km離れたシャンルウルファも深刻な状態。260km離れたディヤルバクルに至っては、震源との距離は東京ー名古屋間ほど離れているのに建物が相次いで倒壊している。300km離れたマルディンも一部の外壁が崩れた。

トルコ南東部の都市名がニュースで流れても、大半の人は知らないだろう。トルコといえば有名なのは北西のイスタンブールや中部のカッパドキア、あとは西側の地中海沿岸。南東部は知名度が低く、外国人観光客も少ない。英語ガイドブックの定番Lonely Planetにも南東部の記述は悲しいほど少なかった。

じゃあ、何もない田舎町なのか?と思われるかもしれないけれど、とんでもない。南東部エリアはトルコ人国内観光客には人気のエリア。何がそんなに魅力なのだろうと私も思いながらも現地の人に勧められて行ってみた。結果、大変にすばらしかった。


1万年におよぶ豊かな歴史

南東部は歴史あふれる町並みばかり。他のどの場所でも考えられないくらい歴史のスタートが古い。

たとえばシャンルウルファ近郊には世界最古の遺跡ギョベクリ・テペがある。メソポタミア文明より遡ること7000年前、今から1万年前に造られたという、気の遠くなるほど古い遺跡。



ローマ時代から2000年の歴史ある城、ガズィアンテプ城が地震で崩れたというニュースを見た。



私も訪れた。とはいっても、城には登らず夜のライトアップを外から眺めただけ。ガズィアンテプ自体の滞在時間が短く、それでいて見どころや名物を欲張ったら自然と時間がなくなった。



登っておけばよかったか。それでも町のシンボルとして人々が誇りを持っていることは通りがかりレベルでも十分に伝わった。町名のロゴにはガズィアンテプ城のシンボルが必ずと言っていいほど添えられていた。




美味しいご飯

南東部は美味しいご飯とスイーツにあふれている。特にガズィアンテプは「美食の町」として有名。「ピスタチオの町」とも呼ばれるくらい、ピスタチオ屋さんやピスタチオのスイーツもそこいら中に溢れている。

最近も松屋銀座にトルコ菓子のバクラヴァ専門店ができて話題になった。このバクラヴァの本場もここガズィアンテプといわれる。
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ガズィアンテプで食べたバクラヴァは、軽やかな食感とたっぷりのピスタチオの風味が香る。今思い出しても幸せになれる味だった。



どこまでも迷い込めるバザール

南東部の各町にはバザールがある。どれも「迷い込む」という表現のふさわしい、迷路のように入り組む市場。シルクロードの歴史から連綿とつながるバザール文化の息づく場所。金属工芸品や陶器、布製品、ガラス製品が所狭しと並んでいる。観光客向けのおみやげ品から、生活感あふれる日常の品物まで、ここには何でもある。



どのお店もイスタンブールの2〜3分の1程度の超良心的な値段。南東部のバザールに浸りすぎて、イスタンブールのバザールが物足りなく感じるくらいだった。
ガズィアンテプのバザールには金物屋通りがあり。カンカンと金属を打つ音が響いていた。



そんな活気あふれるバザールも今はゴーストタウンと化している。


引用元: Residents struggle to flee quake-hit Turkish city of Gaziantep | Turkey-Syria Earthquake News | Al Jazeera




文化の交差路

太古の昔から民族と文化が交差してきたエリア。その息遣いを随所に感じられる。
トルコの南東部には「国家を持たない最大の民族」と称されるクルド人が多数住んでいる。ディヤルバクルには特に多く、「デングベジュ」というクルド語の伝統的な歌語りが響く。



旧市街を歩けばイスラーム教のモスクに加え、シリア正教会やアルメニア正教会が立ち並んでいる。



シリアまであと10kmまで迫る場所も訪れた、国境のヌサイビンという町も遠くから見た。すぐ隣の町はもうシリア。トルコ側とシリア側町に分かれて親戚が住んでいることも珍しくないという。



フレンドリーで親切な人々

外国人観光客は少なく、東アジア人はまったくと言っていいほど見かけなかった。現地の人にも珍しがられ、気にかけられまくり。しょっちゅう声をかけられた。


イベントの見える椅子を譲ってくれたおじさん。



興味津々で話しかけてきたモスクで遊ぶ子どもたち。

正しい路線バスの番号をわざわざスマホに打ち込んで教えてくれたおじさん。

1日3往復のバスにギリギリ滑り込ませてくれたバス運転手さん。

情報がなさすぎる路線バスを捕まえるのを手伝ってくれたおじさん。

レストランで何か困ったら僕に話してと言ってくれた隣のテーブルの青年。

言語通じない謎の東洋人を迎えてくれたハマムのお姉さん。

写真を一緒に撮ろうと言ってくれたガラス香水瓶のお店のお姉さん。



決して長くない滞在でも、言語が通じなくても、たくさんの人との出会いが旅をかけがえのないものに彩った。
皆、大丈夫だろうかと。顔を思い浮かべずにはいられない。



Geçmiş Olsun(一刻も早い回復をお祈りします)

ニュースを見るほどにあまりにも全貌の見えない混乱ばかりが伝わり、心が痛む。

少額ながら、現地の民間救助団体に寄付した。私の調べた限りは信頼できそうな団体で、クレカでも支払える。

トルコ向けにはAhbap。

Support to Disasters in Turkey - Ahbap Platformu Resmi Sitesi

シリア向けにはWhite Helmetsという団体。

Support the White Helmets



今できることは気持ちばかりの支援と、Geçmiş Olsun(一刻も早い回復をお祈りする)しかできないけれど。

この先落ち着いたときには、旅の選択肢にトルコ南東部を加えてみようと思える人が増えたら嬉しい。









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