ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

ターニングポイントは来るものじゃなくて見つけるもの

先の見えないということの精神的負担は思ったより大きい。それが自分の手の内ではなく、誰かの手の内であるならなおさらである。

だからこそ自分の手の内で先が見えないことを減らしていくべきなんだろう。そんなものはある?自分の手の内のくせして先の見えないこと、つまり自分が保留していること、思ったより多い。近いところで言えばGWをどう過ごすか、海外旅行をいつ再開するか、いつ欲しい物を買うか、等等。

保留という行為はエネルギーを使う。理想と、いま現在の状況と、その2つのギャップさえ言語化できたら保留のうち5割は終わる。ギャップをさらに分解してタスクとして構造化できたら9割は終わっている。恐ろしいのは、保留にエネルギーを取られていると、保留を終わらせるためのエネルギーさえ残らなくなってしまうこと。

そんなエネルギー枯渇を超えて、行動しだすターニングポイントがある。前触れなく突き動かされて、一気に物事を進めるときのあの感覚。留学を決めた時のターニングポイントをはっきり覚えている。とある人の留学記を見た時だった。


けれどターニングポイントって、まったくのゼロのところから降って湧いてきたわけではなくて。今までの保留のモヤつき感をはっきり自覚し、かつ、自分にもその保留を晴らすエネルギーがあるという気持ちが湧いた瞬間、それがターニングポイントというものになるのだろう。ターニングポイントは来るものではなく、見つけるもの。もっと正確に言えば、ターニングポイントをターニングポイントと思える自分を用意する時点でもうターニングポイントに差し掛かっているんじゃないか。
ターニングポイントは偶然に見えて、限りなく必然に近いのかもしれない。

さて今のわたしがターニングポイントかというと、わからない。

先の見えない自分で決められないことが増えていく中、かえって自分で変えられるかもしれないものは変えたいという反骨精神のようなものが湧いてきているように思う。たぶんあっという間に忙しくなって、保留が解消されたとしても物理的にエネルギーがガリガリ削られていくのだろうと思うけれど。こんな文章書いていたって、ふとした瞬間に、あーあ、何もしたくないなぁ、と漏らしまくってしまう。先月も先週も昨日も今日もそんな感じである。なんとなく、明日も明後日も来月も来年もずっとこうなのかなと思う。それがちょっと嫌だなぁと思う日が増えてきた。けれどもそれは単なる季節性のエネルギー変動が少しばかり上向いただけかもしれない。低気圧の日、思い切り寒い日がちょっと続いたらゼロになって布団かぶってゴロゴロしだすくらいのエネルギーだろうなぁと。いったい無尽蔵のエネルギーはどこから採掘すればいいのだろう。何かを新しくしたいなら習慣化する必要がある。習慣化ほど私の苦手なことはない。三ヶ月坊主、いや、三週間坊主坊主でいいから、それを1年置きにできたら満点なんじゃないかなぁ。三日坊主するということ自体、何か新しいことに取り組んだ印なのだし。

何に時間を使うのがもっともいいか考えて、何にも使わないのが一番もったいないから。三日坊主を1ヶ月に10回繰り返せたらせめていいなと思った今日このごろ。そう思うことだけでも何か自分にとって良い方向に向かうターニングポイントにならないだろうか。



ぼんやり書いてしまったけど、今日はこのくらい。







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