ザザイズム

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これが平成初期のWhy!?ジャパニーズ ピーポー 『日本人:不思議の国の他人事じゃない人々(The Japanese: Strange But Not Strangers)』

The Japanese: Strange But Not Strangers

英語版Wikipediaを巡っていたらKyōiku mama(教育ママ)の記事を見つけた。挙げられていた事例に爆笑した。

ほとんどの母親は、他の母親たちと激しい競争をしている。自分の子を名門校に入れるために。
こんな例がある。子を両親の寝室で勉強させ、母親がリビングでテレビを観る。あたかも子がほとんど勉強していないように見せかけるのだ。他の母親が家の前を通りかかると、子の寝室の電気が消えているのを見て、子が勉強をサボってテレビを観ているのだと思い込む。翌朝、母親はテレビ番組の内容を子に教える。子は学校でクラスメートの友達にそのことを話す。クラスメートもその子を怠け者と決めつけ、友達も自分もそんなに勉強しなくていいだろうと期待値を下げてしまう。しかし、受験期になると、「怠け者」は名門校に入学し、友達は落ちこぼれる。

さすがに古い時代の話だとしても、作り話感がすごすぎない?と疑問符でいっぱいになり。気になりすぎて引用元の本を調べてみた。

The Timesの記者で日本支部に勤務していたジョゼフ・ジョーが著した『日本人:奇妙だが他人事ではない人々』(The Japanese: Strange But Not Strangers)という本で、1993年出版。英語版のみだけど、なんとInternet Archiveで無料で読める

90年代前半までの奇妙な国ニッポンを、教育や労働文化、スポーツなど多岐に渡る分野からイギリス人目線で紹介していく。
これがツッコミどころだらけで爆笑モノだった。




サンティアゴの降雨量を詰め込み、友人を陥れる

まず、冒頭の教育ママの話を読んでみた。日本の詰め込み教育の皮肉まで入っていた。

翌朝の学校で、子は昨夜のテレビについて友人に活き生きと話した。チリの降雨量の勉強なんかにうんざりしていないことを知らせ、彼の友人を安心させた。言わずもがな、その目的は彼の友人を陥れることだ。入学試験でサンティアゴの気候を問われた時、名門校の数少ない枠の1つを掴むために。

チリの降雨量を問うような詰め込み教育の皮肉を盛ってきている。その他はWikipediaにあった通りで、さすがに30年前でもここまでするのはドラマの中のギャグにしか思えない。




博士号で茶を沸かす

目次を眺めるだけでも笑える皮肉だらけだった。

まず女性についての章。タイトルが、「女性の不当な地位:博士号で茶を沸かす(Making Tea with Your PhD)」。お茶汲みの時代と博士号の取り合わせがロック。

読むと、30年でいかに日本がマシになったのかがわかる。まず典型的なセクハラの例で「パンツ何色?」「きみ処女?」とかが出てくる。強烈。今どきのセクハラ事例集にはもはや出てこないパワーワード。1990年代前半はようやくセクハラの概念が生まれ始めた時代みたいで、時代とは30年でここまで変わるものなのだな……と改めて思った。



スポーツとギャンブルは切り離せない

スポーツについての章も時代を感じる。

相撲ー国技
野球ー国民的な熱狂
ゴルフー国民的な沼
パチンコー国民的な娯楽

この並びで唐突に入るパチンコのインパクト。「パチンコ台の前でできることといったらタバコを吸うくらいしかない」と初っ端からぶっこんできている。この章全体の名前が「This Sporting Life」で「スポーツ賭博好き」を意味するのだとか。「Sporting Life」という競馬雑誌がかつてイギリスにあったそうで、そこから来ているっぽい。スポーツとギャンブルが切っても切り離せない、これまた古い空気感。

印象的だったのはゴルフ狂時代の描写。ゴルフ場建築フィーバーがすごかった。1700あって建築中が350、計画中が900、それだけあっても足りない。2ヶ月前から抽選に何度も応募してやっとプレー権を勝ち取り、どんな台風の大雨だろうとレインウェアを着込んでコースに出るのだ……と。まさに狂想曲の様相。本当かどうか今度父にでも聞いてみようかな。




悲しいかな格差社会

30年経つといろんなことが変わる。イギリス目線の誇張と皮肉を差し引いたとしても30年前が遠く感じる。今良いとされる価値観も30年後にはまるで役に立たなくなっているのかもしれない。教育って難しいな。というかアップデートし続ける前提じゃないと無理だな、と改めて感じる。

それでいて、30年経ったのに変わってないぞ……むしろ酷くなっている……?と思った箇所もある。

筆頭が貧富の格差。

日本人が外国人から金持ちだと言われ続けている今、ぎゅうぎゅう詰めの狭小住宅は受け入れ難くなってきている。マイクロチップなら小型化は魅力的だが、マンションではそうはいかない。日本にはお金はあるが、ゆとりがない。東京都民の60%以上が、東京は人が多すぎると言っている。彼らは規制を望んでいる。「まるで犬のような暮らしだ」と言う人もいる。
(略)
日本人は並外れた忍耐力を持ち、多くのことを受け入れている。しかし、時が経つに連れてうんざりしてきているようだ。世界で2番目に豊かな国なのに、もっと貧しい国の人が驚くような生活をしているからだ。少しでも反抗的な態度をとれば、政府は慌てふためくことになる。このままでは、富裕層や超富裕層との間で、所得や資産の格差がますます広がり、同じ思考と行動を好む国を憎しみで分断する。

今の事態はもっと悪いよね。首都圏の過密化は加速するばかりで、「狭小住宅が受け入れ難い」なんて言っている段階は通り越した。選択肢がない。まともなファミリー向け住宅が雲の上になっていく。不満を掲げたとて政府は慌てふためくわけでもない。「世界で2番目に豊かな国」というフレーズも遠い昔感を覚える。



まとめ

今の時代に新聞記者が書いたら炎上しそうな誇張が書かれている。しかし、すべてがデタラメという印象でもない。過酷な校則の文脈で校門圧死事件など実在する事件も取り上げられているし、過酷な満員電車の描写なんかもその通りだろうと思える。30年前の日本を体感していないからどのくらいの誇張なのか実感できないせいもあるだろうけれど。それでも外から見た奇妙な国ニッポン感は30年後の現代にも十二分に伝わった。

ざっと斜め読みしただけでも印象的な箇所がこれだけあった。興味ある章だけでも読んでみると面白いかもしれない。英語もそこまで読みづらくない。
Internet Archiveに登録すれば無料で読めるので、英語チャレンジしてみたい人はぜひ。

archive.org



今日はこのくらい。



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