ザザイズム

書くことは命の洗濯。日常で考えたことや国内外旅行記などつづっています。

withコロナが始まって3ヶ月の心境と行動の変化

「コロナがやばいぞ」と気づいたのは1月の末頃、春節の始まる直前。
それから3ヶ月経ち、いろんなことがありすぎた。3ヶ月間の心境と行動を克明に覚えている。きっといつか忘れてしまう日が来た時のために、メモしておく。


春節の恐怖、マスク戦線の到来

1月の中旬。武漢で肺炎がヒトヒト感染し、急激に広がっているとの報を見る。武漢現地の動画に衝撃を受けた。人であふれる病院、消えたマスク、突然倒れる人。今思えば突然倒れる動画のかなりはフェイクだったのだろう。一番恐怖だったのは満員の病院で。それは偽りようのない、こつ然と現れた恐怖だった。奇しくも春節直前、中国から日本への旅行がピークとなるタイミング。もう数ヶ月後には東京もこうなるかもしれない。そう本気で思った。

この頃は大した対策も危機感もなかった。入国制限の影も形もなく、勝手にひとり、無力感で虚無に陥り始めていた。
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春節到来。ネットショップから高性能マスクが消えた。仕方なく3MのN95をヨドバシオンラインで予約してみたが、今日の今日まで在庫はゼロで全く動く気配がない。都内のドラッグストアに行ったら、マスクが思い切り売れていた。この時は中国人観光客の爆買いメインだったのだろう。女性用マスクは売れ残っており、1箱だけ買った。個数制限は特になかった。

2月1日。地元のドラッグストアに行った。マスクはサイズを問わず堂々と山積み。全く買い占めの波は来ていなかった。7枚入りの少し高性能なやつを2、3セットと、50枚入り299円の廉価マスクを購入。ホームセンターでN95マスクも数枚買った。N95ですら全く売れている様子がなかった。でも、もうまもなく消えるだろうと思った。あまりにも私は大正解だった。3ヶ月経っても供給が滞るとまでは予測できなかったけど。普通の安いマスクをあともう1、2箱、買っておけばどれくらい気が楽だっただろう。

2月2日。都内のハナマサでにマスクが人知れずひっそり積まれていたのを覚えている。1箱買うか2箱買うか迷った。結局、1箱にした。もう相当買った気でいたから。でも、数カ月分、数人分には最低限ラインだった。彼氏にも分け、家族にも分けると、あれだけ少し買いだめした感で後ろめたかったのに、振り返ってみればスレスレの量だった。

それから少しして、急激にマスクが消えた。地元からも、ハナマサからも。一番しぶとく残っていた社内コンビニからもすっと消えた。



じわりと足元に忍び寄る2月

2月はずっとダイヤモンド・プリンセスの話でもちきりだった。告発動画や隔離の概念の無い内部写真が激しく炎上するのを見た。2月の中旬には、会社がリモートワーク勤務を推奨し始めた。もともとリモートワークに親和性のある会社なのが幸いだったけど、リモートと非リモートの混在する状況がかえって頭を悩ませることもあった。だんだんと精神的に不安定になっていった。

精神の乱れのピーク第一波が2月末頃にあった。世の中が一斉休校を決定した時で、この記事の頃。

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「コロナ」をワードミュートしてもTLが苦しみの声に満ちあふれた。SNSをやめない限り、避け難かった。いや、やめてもありとあらゆる方向から叫びが浸潤してきて、ネット離れ自体を進めないといけない境地に至りつつあった。

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SNSを一旦やめ、空いた時間を英単語学習・筋トレ・瞑想・ゲーム・読書に割り当てた。それから、やはり情報収集のためとSNSに戻り、また苦しくなっては離れを繰り返した。




平和ボケの3月

世の中は意外と回っていた。ウイルスは指数関数的であって、こんなド素人でも、ひどくなるだろうという予想は簡単だと思っていた。重症例がもっとすごい勢いで急増し、3月にはもうカオスだろうとばかり思っていた。でも、春節超して3月くらいまで、散発的なクラスターやダイヤモンド・プリンセス以外は平和ボケと思えるくらいの世の中だった。それがむしろもどかしくって、さっさとロックダウンで出かけるかどうか思い悩むことも無くなってしまえばいいのに、と思った。3月は別件で家族の気が触れ立っていたのも辛かった。

リモートワークはより拡充され、家でのライフスタイルが確立してきた。平日は家でリモートワーク、週末に二輪教習で数時間外出。2月の末くらいから始めた筋トレも継続できて、昼の自炊スタイルも確立。

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二輪教習がつらかった。終わらない補講、春の強風や雨、鬼のように取れない予約。平日の仕事よりも週末の教習のほうがずっと気が重かった。マスクにネックウォーマーを重ね、自転車でギリギリの時間で着くようにし、滞在時間を最小限にしていた。スーパーに寄り、昼ごはん用の食材を買い集め、また大量に消毒スプレーを身体に吹き付けてから帰宅。この後に及んでマスクをしない教官にずっと苛立っていた。

3月の3連休は1日だけ出かけた。あの3連休はテレビでも散々自粛疲れとして報道されていて。感染しなくてよかった。運が良かったのか、あれで良かったのだろうか、としばらく少し気が揺れていて、よけい家に引きこもるようになった。

3月の末、久しぶりの出社。人が本当に少なかった。どこかのタイミングでオフィスも閉鎖されるんだろうと思った。その少し後に社内に感染者が発生し、オフィス閉鎖。リモートワークしか選択肢がなくなった。



強制の希望と自粛の絶望の4月

4月1週目頃から、精神の乱れ第二波の到来。教習所と行政への不信感が劇化した。
まもなく緊急事態宣言が出る。ならば、教習所も閉じ、9ヶ月の教習期限も延長されるはず。そんな希望を持った。消毒液にまみれながらマスクなしの教官と休校のおかげで空かない教習所に耐えるのはこりごりだった。
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しかし、知事は休業要請を出さなかった。あまりの絶望に苦しみすぎて、怒りしかなかった。何をどう考えても普通の人間なりの思考能力があれば、こんなことにならないだろうに。そう思った。わずか後に撤回されたものの、この怒りは一生忘れないだろう。結局、緊急事態宣言が出された時、自主的に教習をキャンセルした。まもなく教習所も"自主"休業した。休業要請が出る前の休業。教習期限延長措置も出されていない。さすがに警察庁レベルで教習期限延長の指示が下りつつあるとの噂を見て、少しは希望を持ち始めた。けれども、いい加減希望と絶望の繰り返しで疲れた。こんなときに教習所なんて通わなければよかった。そう真剣に思った。

とはいえ、ようやく教習所に行く選択肢がなくなったことですさまじく気が楽になった。もし教習所がきっかけで家にウイルス持ち込んでしまったら苦しくて悔しくて心底この国と県と自分を恨むだろうと思ったから。

"自主的"に"自粛"する行為には、すさまじいエネルギーが必要である。自分の考えで、救われもせず、必死に考えて、他の人が進んでいる方向から目を背け、私だけ別の方向に向かう。そんな意思決定に使うエネルギーの消耗はすさまじい。だからこそ、教習所が閉鎖され、外出する理由が完全にゼロになった時点で、すっと気が楽になった。自由であることの苦しみ、強制されることの楽さを思った。




かくして本格的に引きこもり生活が始まった。家に引きこもり続けること自体は大幅な苦ではない。むしろ外出時にマスクして気を使って帰宅時に消毒しまくるのが面倒くさすぎて家を出たくない。内向型で良かった、と思える日が来るなんて思ってもいなかった。

外出できなくて一番恋しいのは各国料理。蘭州拉麺、トムヤムクン、プロフあたりが特に懐かしい。代わりにスパイスを買い集めて自炊できないか計画している。彼氏さんとも会わないなら会わないで、私が独り身だった時と似たような感じで暮らすだけ。慣れっこである。

旅行計画が完全ストップしたことへの虚無ももう慣れた。1月末に武漢のニュースを見た時点でやめていた。もともと、旅行は「いつ行けなくなるかわからない」というスタンスでいたし、仕方ないとしか言いようがない。
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近年、旅行疲れを起こしがちだったし、少しお休みするくらいがちょうど良い距離感なのかもしれない。7月にロシア旅行の航空券はあるけれども、もうほとんど期待するのをやめた。寝台列車移動なんて夢のまた夢のように感じる。航空会社との返金バトルが想像しただけでめんどくさそうなのが嫌なくらい。
もはや、外出してまでやりたいことを思い出せなくなってきている。強いて言えば、映画館で「この世界のさらにいくつもの片隅に」は観たかった。Kygoの来日ライブも見れるものなら見たい。それ以上、外でやりたいことを思い出せない。元からインドアだからなのか、虚無で脳が萎縮したのか。




こうやって考えると、ここ数ヶ月本当に精神が落ちていた。自粛するか否かの選択権がある時、何に期待しかけては絶望にとらわれる繰り返しが一番疲れた。

とはいえ私は間違いなく恵まれているほうだ。留学や結婚式や重大なイベントの延期もなければ、収入が今の所激減することもなく、会社とリモートワークの親和性も高い。そんな私でさえ精神的にはずっと揺れ動きまくっている。





今日はこのくらい。

○今日の過去記事○

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